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三位一体:神の”やりすぎ”と思えるほど深い真心に甘えよう

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三位一体の(A年)の説教=ヨハネ3.16~18

2014年6月15日

message-eycatchこの地球上にいくつの宗教、信仰があるのでしょう。興味はあってもその課題に取り組んだことはありません。ただ、「宗教」というからには、人の生き方と密接に関係しているのは共通のようです。 第二バチカン公会議後、カトリック教会は他宗教との対話を求め、その価値を認め、尊敬するようになり、人類の平和と救いをともに構築する動きが加速されました。とは言いましても、遅々たる歩みではあります。が、確実にみなが同じ方向を見つめることができるようになったのは確実です。

とは言いつつも、他の宗教に、「三位一体」という神の奥儀を見出すことはできません。キリスト教の特徴的な信仰対象なのです。人間の「悟り」の境地から生まれでるものではありませんし、全くの神から啓示された真理だからです。

しかも、神ご自身の内面に関する、人びとには隠された、真理です。神からのわたしたちへの「真心」ともいえる奥儀です。 神は自らそのみ名を宣言して、ご自分のなんたるかを語っておられます。「あわれみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ちた者」と(出エジプト記34章6節~7節)。

約束の地へ向かう途中の砂漠で、イスラエルの民は、偶像の金の子牛をつくり礼拝を捧げます。いわゆる「偶像崇拝」です。その直後にモーセに語られたのです。神に対する背信行為があったにもかかわらず、神は、人間の常識を超えて、怒るに遅く、あわれみ深さを示す神なのです。

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神の側から人間に対して壁をつくり、隔たりを設けることは決してありません。人間がそれらをつくったとしても、そこを乗り越えてわたしたちにやさしさと愛のまなざしを添えて、援助の手を差し伸べられます。そうです。見捨てられることがないのです。 第三者から見ると、「神さまはちょっとやりすぎじゃないの」と思われても仕方ないほどの真心です。

大事なことは、わたしたち人間が、神への甘え方を知っているかです。さあ、どのように甘えたらいいのでしょうか。 神さまの内面を示された今日のわたしたち、より多くの人との信仰の分かち合いを通して、自分の信仰を語ることが、神のいつくしみに甘えることかな、いや、甘え方がわかってくる近道かなと思っていますが、・・・。

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