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年間第29主日:世界はすべて神のもの!という現実に目覚めるべきです

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2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

年間第29主日(A年)の説教=マタイ22・15~21

2017年10月22日

「指導死」という表現を初めて目にして感じること

最近、新聞等の報道機関で目につくニュースに「中学生の自殺」があります。それも、「いじめ」が契機になっているのではなく、「指導死」が後を絶たないといいます。わたしにとって、「指導死」とは新たに目にした表現です。(讀賣新聞大阪本社2017年10月16日朝刊・夕刊)

福井県の池田町の公立中学校で、2年生の男子生徒(当時14歳)が校舎から転落して死亡した問題です。町教委は第三者による調査委員会を設置し、次のような報告書を提出しています。「男子生徒は担任と副担任から繰り返し厳しい叱責を受け、精神的に追い詰められて自殺に至った」と。

人と人の違いは『役割』の違い!断じて優劣ではない

学校の世界で、「教育する」「指導する」とはどのようなことを言うのでしょうか。学校は生徒と教師がいないと成り立っていきません。教師は子どもたち(児童・生徒)がいないと教師ではありえません。わたしたちはどの世界に属していても、そこに必ず「関係性」が存在します。その中で生き、自己、他者の存在を確認し、自分の居場所、役割が見えてきます。現実的に、地位、年齢、性別の違いはあっても、それは優劣の違いではなく、役割の違いです。誰にでも居場所はあるんです。

今日の福音に「神のものは神に・・」というイエスさまの言葉があります。これは何を意味するのでしょう。

ファリサイ派の問いかけには彼らの悪意を感じます。皇帝に税を納めるべきだといえば、イエスさまが、税の取り立てに苦しんでいるユダヤ人の友、仲間とはいえなくなります。逆にまた、税を払うなというならば、ローマの権力に対抗する扇動者としてイエスさまを訴えることができます。そこで、誰もが予想すらしなかったであろう「神のものは神に、・・」という言葉を返すのです。

今の「わたし」の存在は神からいただいたもの

言われるまでもなく、じっくり考えてみますと、今の「わたし」の存在は神からいただいたものではないでしょうか。確かに、自身の好みにしたがって生きていること自体、また、日本に住むことを選んだわけではないにしても、元気に生きて、楽しく生活できているのは神の恵みがあってのことではないかと確信します。そして、素晴らしい友、仲間、また、家族、その上に陰で支え、助けてくださる大切な知人、先輩・後輩等、このような人たちとの出会いも神の恵みの支えの結果であると信じています。

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神からのものでないものは何一つないのです。これが神と人間との関係です。このかかわりをしっかりと認め、この事実をしっかり自覚することが「神のものは神に」への道のりの始まりです。つまり、「わたしのほかに神はいない」(イザヤ書45章5節)ということを自覚し、信じ、生きていく先に、自力に頼らない、「関係性」を大事にしている自分に出会います。

神との関係性を見つめ、自分の役割に気づきたい

そして、素直に自分の役割に目覚め、優劣ではなく、真の自己存在の価値に気付けます。神はわたしを導き続けてくれます。その導きに誤りはありません。だから安心できます。甘えることもできます。そもそも、人が神に甘えるってどんなことなんでしょうか?

いつも、人がすることに完璧はありません。だから失敗もあります。とはいっても、間違いに気付くことはできます。失敗する前に軌道修正して、まっとうな歩みの軌跡をたどることはできます。

指導で大事なことは役割の違いに目覚めること

子どもを「指導する」「教育する」時に大事なことは、役割の違いに目覚めることではないですか。大人は、子どもが安心できる環境を提供してあげること、これが大事な指導内容の一つであると、わたしは感じています。「指導」の名の下に、大人のやりたいことを、子どもに対してすることがゆるされるわけはないでしょう。

パワハラに品格は感じません。子どもだって、大人と等しい命を生きています。神の保護のもとにあります。子どものいのちを、大人はどのように見ているのでしょうか。そこから、その人の教育、指導も、その内容が垣間見えます。

自力だけに頼ろうとする者は、いずれ崩れ去る

わたしたちが年齢、地位、性別の違いを超えて、一つになって、一つ心で祈り願うようになれれば、充実した楽しい日々になっていくとは思いませんか。願望し続けましょう。

一人、自力に頼ろうとする者は、いずれ崩れ去っていきます。神のものを神に返すことが、聖なる人への道のりであり、神の恵みへの感謝の道のりでもあります。それぞれの居場所で、地位で、その役割をお互いに見せていきましょう。

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