年間第24主日の説教=マタイ18・21~35
2017年9月17日
「人は一切れのパンではなく 愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。
だれからも受け入れられず だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ これこそほんとうの飢えなのです。
愛を与え 愛を受けることを知らない人は 貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。」(「マザー・テレサ 愛のことば」より)
「聖人」になるためには特別な修行が必要か?
キリスト信者は、完徳、立派な徳の実践をめざしてがんばるように、といわれてきた方は多いのではないでしょうか。いわゆる、「聖人」になるために何か特別なことを、修行を積まなければいけないような印象を受けてしまいます。つまり、日常の生活形態では信仰者としての歩みに、進歩が見られないということでしょうか。だとすれば、聖人になるにはどうするのでしょう。
「シングルマザー就労支援」の報道記事から
わたしたちの日常は、絶えず変化しています。報道の内容を見ましても、目まぐるしく話題が複雑化し、その中で悶え悩んでいる人の姿が紹介されていきます。とにかく、眼前に展開されていく問題が次から次へと連続していくのです。その中で、「シングルマザー就労支援」という記事が目に入りました。(讀賣新聞大阪本社、2017年9月12日朝刊)
シングルマザーは、経済的自立が大きな課題
シングルマザーにとって経済的な自立は、重要であるが難しい問題であるということです。こんなに大きく新聞に取り上げられることの一つに、シングルマザーが増えている現実があるといえるでしょう。
厚生労働省の調査によりますと、2011年の母子世帯数は約123万8000。2006年よりも約8万7000世帯増えたそうです。その理由の約80%が離婚によるものです。経済状況は厳しく、一昨年の調査では、母子世帯の年間総所得は270万円。しかも、非正規で働く方がほとんどです。
こうした現実を前に、シングルマザーの就労支援が広がっているといいます。
NPOや企業でも多角的に支援する動きが出始めた
求人情報を案内したり、さまざまな角度からの相談相手になったり、各種セミナーの企画を行ったり、少しでも働きやすい環境の構築に援助を惜しまないNPO法人が動いています。
企業としてもシングルマザーが正社員になる道を支援する動きがあるようです。ある企業の話です。「初めは子育てとのバランスを選び契約社員になったシングルマザーでも、意欲があれば管理職へキャリアアップすることも可能」と。
生きる現場から遊離した生活はありえない
わたしたちはこうした生きる現場から遊離して生活をしていくことは無理です。この中で、日本人として、社会人として成長し、人となりに磨きをかけていきます。
その人が信仰者であれば、その視点からいう聖なる人へと近づく道でもあるのです。多くの人が、日常生活を離れた特殊な生活現場で生きているわけではありません。ごく日常的な生活、心がまえの中にこそ、聖なる人になるべき現場があると、今日の福音は示してくれます。
日常の中にこそ、聖人になるべき現場がある
中でも強調されていることが「ゆるす」ということです。これは何も特別な修業、苦行を指しているのではなく、人に対する日常の心がまえです。この「日常性」が、誰にでも「聖人」になれる資格があるということを物語っています。
イエスさまもゆるしについて普段に話しておられます。「人の過ちを赦すなら、あなた方の天の父もあなた方を赦してくださる」(マタイ6章14節)と。
このことからわかるのは、「ゆるす」ということは、福音のメッセージの中で本質的なものであるといえないでしょうか。同時に、ゆるすということがどういうことなのかが今日のメッセージで言われています。
常識からいって、あまりにも極端なたとえ話であるように思いますが、それだけに、「ゆるす」ということがいかに大事なことなのかがうかがい知れます。王の言動の中心にあるのは、負債をこしらえたみじめな男を見て見ぬ振りができない心です。自分の権利を主張することなく、男の惨めな姿に寄り添う心です。
私たちが安心できるのは、神のあわれみのおかげ
わたしたちが安心して生きていられるのは、こうした神のあわれみの心、助けようとして自らが走り寄ってくださる神の心によります。このことを感じて生きているのかどうか、これまた隣人とのかかわりの中で発揮されます。身近な友人に対するこの男の厳しさは、王から与えていただいた「ゆるし」の恵みを台無しにしてしまいます。
自分の周囲で起こる様々な出来事を避けることは難しいです。じっくりと目の前の問題に相対し、ゆるし続ける神がその背後にいらっしゃることを忘れないでいたいです。
マザー・テレサの言う「貧しい人」にならないために。さて、今日は、誰と出会い、どんな出来事に出会うのでしょう・・・。
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