主の公現(A年)の説教=マタイ2.1~12

2014年1月5日

神のたしかさ今日は、主の公現の主日です。字のごとく、主が公に現わされることを喜びます。どうして喜ばしいのでしょうか。イスラエルの民だけではなく、そうでない異邦人にも、主が示されたのです。わたしたち人間一人ひとりを、条件なしに、救いのレベルに引き上げてくださったのです。

きょうの福音書では、東方からの訪問者が描かれています。原文ではマギと呼ばれている訪問者たちです。毎年のことながら、幼稚園における「クリスマス会」では「三人の博士」として、子どもたちが演じてくれます。

昨年のクリスマス会でも、三人の子どもたちが立派な服を着て、奉納物を携え舞台にさっそうと登場しました。どこかの上流社会の偉いかたのような出で立ちです。「三人の博士」はその配役を選択する時にも、人気のある役柄の一つです。

ところが、マギは王とか博士とか賢者とかではなく、直訳すれば魔術師、占星術師になります。当時のユダヤの世界では、偶像崇拝者として嫌われる存在だったのです。そのような人が「訪問者」として生まれたばかりの幼子を礼拝に訪れたのです。しかも、「星に導かれて」とあるように、神からの「招待」だったと言えます。つまり、こうした動きの中に、イエスさまのメシアとしてのなんたるかが秘められています。

社会から、どちらかといえばのけ者にされていた羊飼い、マギが最初にイエスさまの前にひれ伏したのです。こういう出会いこそが、神のメシアへの望みであったのです。そして、その誕生からメシアの使命は遂行されていたということができるのではないでしょうか。何も分からない幼子なのに、・・・。

だからこそ、今のわたしたちにまで、その恵みは広がり、時間空間を超えて、すべての人類に浸透していくのでしょう。ここに、主の公現の祝日の喜びと、公現を通して、わけ隔てのない平和な人、社会が実現する希望と願いがかなう強烈な保証がもたらされました。

わたしたちが小さくなればなるだけ、イエスさまはそのやさしい心、希望にあふれた眼差し、あたたかい手を指し出してくださいます。マギは星の光に引き寄せられて、イエスさまを礼拝し、心の安らぎを得て、傷ついた心をほぐしてもらったのでした。そして新たな生きる希望を抱き、委ねる生き方に踏み出したのでした。

まさしく、「公現の主日」は、わけ隔てをなくし、新たな生きる力をいただく出会いなのです。