
【2026】説教の年間テーマ=神は罪びとに道を示される
待降節第1主日(A年)の説教=マタイ24・37~44
2025年11月30日
最近の自然災害は深刻です。それも、日本だけではなく全世界で起こっている感じがします。洪水、火山の噴火、地震、それに伴う津波、山火事等、少々の被害で終わることなく、甚大な被害結果が生じています。また、空気の乾燥による火事、一度火事が起こると、延焼の範囲が大きくなり、かなりの広範囲が焼け野原になってしまいます。
先日18日におきた大分県佐賀関の火事は、悲惨な結果を招いてしまいました。最終的に鎮火は未だできていないということです。日テレニュースが報じています。
「街の姿を一変させた火災は発生からまもなく1週間。24日、現場では火があがっている様子はありませんが、今も鎮火に至っていないといいます。なぜなのか。大分大学 鶴成悦久教授は「やはり熱源が残っている。」と指摘しています。熱源とは、再び燃える可能性のある地面などが高温となっている場所です。
今回の火事は、
「総務省消防庁などによると、2016年に新潟県糸魚川市で起きた大規模火災(焼損147棟、焼失面積約4万平方メートル)を超える規模という。視察した大分市の足立信也市長は『火種が消し止められれば20日にも鎮圧に近づくが、鎮火にはもう数日かかるだろう』との見解を示した」とのことです。(南日本新聞2025年11月20日朝刊)
また、読売新聞オンライン九州発によりますと、
「18日夕に大分市佐賀関で発生した大規模火災は、焼損エリアの北西部で発生し、西方向からの強風で南東側に燃え広がった可能性がある。佐賀関半島の被災した住宅地から約1・4キロ南東の無人島・ 蔦島 にも延焼。24日午後7時時点で、火が完全に消し止められる「鎮火」の見通しは住宅地を含めて立っていない。住宅地と一部山林の焼損面積は約4万8900平方メートルに上り、焼損棟数は約170棟、被災世帯は約130世帯。これまでに、住民(76)の死亡が確認され、50歳代女性が気道のやけどの疑いで病院に搬送された。
大分市消防局は20日、被災住宅がある半島側について、更なる延焼の恐れがない「鎮圧状態」を発表。大分県警が実況見分を行い、火元や出火原因を調べている。」と報じています。
こうした自然災害の前には、いくら人間が、精一杯の予防対策を講じたとしても、所詮、大自然を相手にしては歯が立ちません。それでも、何も備えないよりは、なにかを予測して、少なくとも心の準備はあった方がいいように思います。こんなはずじゃなかったというよりも、覚悟してその時を迎える方が、少しは救われる気(?)がしませんか。
きょうから待降節に入りました。文字通り、救い主の誕生に向けて心を整え、高めていく期間です。主の誕生を準備する待降節の初めなのに、なぜかキリストの再臨を述べる聖書が朗読されます。

そして、それがいつのことなのか、どのような形をとるのかは告げられていません。むしろイエスは、「思いがけない時に来る」と語っています。さらに、その時について、わたしたちははかることもできないし、予想を立てることもできません。ましてや、自分たちの都合のよいように早めたり遅らせることなどできるわけがないのです。まったくもって、わたしたちは無力です。
それは完全に神の思いの中にあること、神の一方的な業なのです。したがって、わたしたちの五感で確認できることではないとしても、神の業は刻一刻と熟し高まっていきます。わたしたちは何をするかといえば、じっとその時を「待つ」ことです。これが待降節を過ごす課題ともいえるものです。別の言い方をすれば、キリストの降誕を祝う者は、キリストの再臨を待ち望みながら生きてゆきます。そして、キリストの再臨を待つ者は、「目覚め、わきまえ、、備えて」生きるべきであると、きょうの福音は教えています。
旧約の時代におもがけないことが起こりました。ノアの時代の話です。(創世記6章)
ノアの時代の人々は、洪水がいつ起こるのか気付くことはできませんでした。すべて神がなさることです。ですが、ほんとうに彼らが気づかなかった大事なことは、すべてを滅ぼす洪水を、いつでも起こすことのできる「神の権威」ではないんでしょうか。
人の子が到来する時にも、同じように人々は神の権威を理解せず、神を畏れない生活をしているのです。ノアの時代には、善人と悪人が神の目によって区別されています。が、人の子が来る時は善悪の区別は人の目にはわかりません。一人は連れていかれ、一人は残されます。
人には分からないだけに、じっと心して待つ、自分に目覚めて待つことを学びなさいと、イエスは勧めています。
「待つ」ことの大切さ、重さを、しっかりと学ぶ待降節にしていきましょう。

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