三位一体(A年)の説教=ヨハネ3.16~18
2011年6月19日
子どもたちの遊びの中に「かくれんぼ」があります。先日、放課後に数名の子どもたちが「かくれんぼ」を始めました。「もういいか~い」「ま~だだよ~」と子どもたちの声が飛び交います。数回同じようなことがあって、「もういいよ~」と声がします。すると「おに」役の子どもが捜しに回ります。
今では大人である自分も、小さいころは同じようにやっていたな~、と思い出します。ところで、「かくれんぼ」ですから、自分の居場所を相手に隠しとおすことが大切なのに、「もういいよ~」といって、自分の居場所を自分のほうから教えているような気がしてなりません。しかし、子どもの世界での遊びとして、ある意味で、優しい、おおらかなゲームかなとも思います。
わたしたちが信じている神も、自らを自分のほうから示す神であるということができます。「啓示」とはまさにそのような意味です。
示された内容をわたしたちが受け止めることができるかどうか。わたしたちの動きに左右されることなく、神は、ご自分の人間に対するやさしさを、愛の深さを同時に示されます。
シナイ山頂でのモーセに対する神の姿は、「愛といつくしみの神」そのものです。モーセが率いた民は、神に対する背信の行い(金の子牛をつくる)をしたにもかかわらず、人間の常識をはるかに超えるやさしさで、人に接します。
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神自らが示された真理の中でも、今日の「三位の神」の啓示はもっとも神ご自身の内面にかかわるもので、人には知ることのできない真理ということができます。知ることができないとしても、信じぬいていくことはできます。神は今でも、またこれからも人類の歴史の中で自らを示され、わたしたちを見捨てることなく、救いの手を差し伸べてくださいます。
このような神を、日常生活の中で感じていきたいですね。
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