『年間第18主日』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

年間第20主日:わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか

年間第20主日(C年)の福音=ルカ12.49~53 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。
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年間第19主日:常に用意していなさい。人の子は思いがけない時に来る

年間第19主日(C年)の聖書=ルカ12・32~48 イエスは弟子たちに言われた。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。自分の持ち物を売り払って施しなさい。
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年間第18主日:自分のために富を積むより、神の前に豊かになりなさい

年間第18主日(C年)の聖書=ルカ12・13~21 〔そのとき、〕群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
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年間第17主日:祈りとは?「求めなさい。そうすれば、与えられる。」

年間第17主日(C年)の福音=ルカ11.1~13 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
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聖ペトロ 聖パウロ使徒:「あなたはメシア、生ける神の子です」

聖ペトロ、聖パウロ使徒の聖書=マタイ16・13~19 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。 弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

復活節第6主日:真の絶対的な平和⇒神の手の中にあるという信仰からくる

イエスは弟子たちとの別れに当たり、一度はどん底の闇に弟子たちを突き落とすものの、新しい希望を与えることを約束されます。それは「平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」といわれます。
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受難の主日:父よ、わたしの霊を御手にゆだねます、と言ってイエスは息を引き取った

受難の主日/枝の主日(C年)の聖書=ルカ23・1~49〔そのとき、〕民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
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主の奉献:両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った

主の奉献(A年)の聖書=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

主の洗礼:「わたし」の受洗の覚悟は何、それは今どこに、・・・

きょうはイエスの受洗記念の祝日です。受洗する必要はイエスにはないのですが、あえて民衆の中に入っていかれます。救いへの道を民衆とともに歩むためです。「民衆はメシアを待ち望んでいて・・・」で始まるきょうの福音。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第33主日:そのとき、選り分けられて「あなたがた」と呼ばれるために

「人々」から「あなたがた」を分けるものは、はたして何なのでしょう。わたしたちは、一人ひとり、それに答えることができているからこそ、今があるのです。  終わりに、人の子から「あなたがた」と呼ばれるために、・・。
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年間第21主日:多くの者はイエスの話を聞いてつぶやいた「実にひどい話だ」

年間第21主日(B年)の聖書=ヨハネ6・60~69 〔そのとき、〕弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第21主日:「つぶやき」が嘆き節ではなく、さわやかな祈りになるように!

自らの辛さ、苦しみ、やるせなさがどうしても気になり、周りに、ましてや神に、イエスに、目と心を向けることがおろそかになってはいないでしょうか。むしろ、そんな時こそ神にすべてを向ける、もってこいの「時」なのではないかと、・・。
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年間第20主日:イエスは言われた。わたしは、天から降って来た生きたパンである

年間第20主日(B年)の聖書=ヨハネ6・51~58 〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
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年間第19主日:天から降ってきた生きたパンを食べる人は永遠に生きる

年間第19主日(B年)の聖書=ヨハネ6・41~51 〔そのとき、〕ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。
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年間第18主日:神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである

年間第18主日(B年)の聖書=ヨハネ6・24~35 群衆は、イエスも弟子たちもそこにいないと知ると、自分たちもそれらの小舟に乗り、イエスを捜し求めてカファルナウムに来た。
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年間第17主日:人々は「この人こそ、世に来られる預言者である」と言った

年間第17主日(B年)の聖書=ヨハネ6・1~15 〔そのとき、〕イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群集が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。
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受難の主日:イエスは大声を出して息を引き取った。すると、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた

受難の主日/枝の主日(B年)の聖書=マルコ15・1~39 受難の朗読は長いので、ミサでは3人で分担して行われます。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

B年最初の説教は、11/30(木)17:00公開予定です

新しい典礼歴・B年が始まります。12月3日(待降節第1主日)B年最初の説教は、11月30日(木)17:00公開予定で準備しています。公開まで、今しばらくお待ち願います。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。
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年間第21主日:イエスは尋ねる「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」

年間第21主日(A年)の福音(マタイ16・13~20)イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。