『主の昇天』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

キリストの聖体:すべての人が食べて満腹し、パンの屑が12籠も残った

キリストの聖体(C年)の福音=ルカ9・11b~17 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。
日曜日の聖書

三位一体:真理の霊が来てわたしのものを受けて、あなたがたに告げる

三位一体(C年)の福音=ヨハネ16・12~15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
日曜日の聖書

聖霊降臨:父が遣わす聖霊が、あなたがたにすべてのことを教えてくれる

聖霊降臨(C年)の聖書=ヨハネ14・15~16、23b~26 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、
日曜日の聖書

主の昇天:イエスは、弟子たちを祝福しながら、天に上げられた

主の昇天(C年)の福音=ルカ24・46~53 〔そのとき、イエスは弟子たちに〕言われた。「聖書には次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。
日曜日の聖書

三位一体:「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」

三位一体(B年)の聖書=マタイ28・16~20 〔そのとき、〕十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

復活節第6主日:真の絶対的な平和⇒神の手の中にあるという信仰からくる

イエスは弟子たちとの別れに当たり、一度はどん底の闇に弟子たちを突き落とすものの、新しい希望を与えることを約束されます。それは「平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」といわれます。
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復活節第6主日:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える

復活節第6主日(C年)の聖書=ヨハネ14・23~29 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。・・・」
日曜日の聖書

受難の主日:父よ、わたしの霊を御手にゆだねます、と言ってイエスは息を引き取った

受難の主日/枝の主日(C年)の聖書=ルカ23・1~49〔そのとき、〕民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
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主の奉献:両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った

主の奉献(A年)の聖書=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

主の洗礼:「わたし」の受洗の覚悟は何、それは今どこに、・・・

きょうはイエスの受洗記念の祝日です。受洗する必要はイエスにはないのですが、あえて民衆の中に入っていかれます。救いへの道を民衆とともに歩むためです。「民衆はメシアを待ち望んでいて・・・」で始まるきょうの福音。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第33主日:そのとき、選り分けられて「あなたがた」と呼ばれるために

「人々」から「あなたがた」を分けるものは、はたして何なのでしょう。わたしたちは、一人ひとり、それに答えることができているからこそ、今があるのです。  終わりに、人の子から「あなたがた」と呼ばれるために、・・。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第21主日:「つぶやき」が嘆き節ではなく、さわやかな祈りになるように!

自らの辛さ、苦しみ、やるせなさがどうしても気になり、周りに、ましてや神に、イエスに、目と心を向けることがおろそかになってはいないでしょうか。むしろ、そんな時こそ神にすべてを向ける、もってこいの「時」なのではないかと、・・。
日曜日の聖書

キリストの聖体:イエスはパンを取り言われた。これはわたしの体である

キリストの聖体(B年)の聖書=マルコ14・12~16、22~26 除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
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聖霊降臨:その方が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる

聖霊降臨(B年)の福音=ヨハネ15・26~27、16・12~15 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。
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主の昇天:全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい

主の昇天(B年)の福音=マルコ16・15~20 〔そのとき〕イエスは十一人の弟子たちに現れて、言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。
日曜日の聖書

キリストの聖体:わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る

キリストの聖体(A年)の福音=ヨハネ6・51~58 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせること・・・
日曜日の聖書

復活節第6主日:友のために自分の命を捨てる、これ以上に大きな愛はない

復活節第6主日(B年)の福音=ヨハネ15・9~17 〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
日曜日の聖書

受難の主日:イエスは大声を出して息を引き取った。すると、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた

受難の主日/枝の主日(B年)の聖書=マルコ15・1~39 受難の朗読は長いので、ミサでは3人で分担して行われます。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

B年最初の説教は、11/30(木)17:00公開予定です

新しい典礼歴・B年が始まります。12月3日(待降節第1主日)B年最初の説教は、11月30日(木)17:00公開予定で準備しています。公開まで、今しばらくお待ち願います。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。