『年間第22主日(C年)』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

キリストの聖体:イエスはパンを取り言われた。これはわたしの体である

キリストの聖体(B年)の聖書=マルコ14・12~16、22~26 除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
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キリストの聖体:わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る

キリストの聖体(A年)の福音=ヨハネ6・51~58 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせること・・・
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年間第4主日:イエスの言動には権威があり、汚れた霊を退ける力があった

年間第4主日(B年)の聖書=マルコ1・21~28 イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
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聖家族:幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた

聖家族(B年)の福音=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 《それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

B年最初の説教は、11/30(木)17:00公開予定です

新しい典礼歴・B年が始まります。12月3日(待降節第1主日)B年最初の説教は、11月30日(木)17:00公開予定で準備しています。公開まで、今しばらくお待ち願います。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。
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年間第23主日:二人または三人がわたしの名によって集まるところには・・・

年間第23主日(A年)の福音=マタイ18・15~20 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。
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年間第21主日:イエスは尋ねる「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」

年間第21主日(A年)の福音(マタイ16・13~20)イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。
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年間第20主日:異邦人の女は「小犬も食卓から落ちるパン屑はいただきます」と訴えた

年間第20主日(A年)の福音=マタイ15・21~28〔そのとき、〕イエスは、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
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主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘

毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。
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三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである

三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
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組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト

教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。
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神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい

わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
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年間第23主日:イエスの弟子の条件は、自分の持ち物を一切捨てること

年間第23主日(C年)の聖書=ルカ14.25~33 〔そのとき、〕大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
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聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30)

主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。