『四旬節第5主日』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

復活節第2主日:弟子たちは家の戸に鍵をかけていた。そこへイエスが現れた

復活節第2主日(A年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
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受難の主日:百人隊長や見張りの人たちは「本当に、この人は神の子だった」と言った

受難の主日/枝の主日(A年)の聖書=マタイ27・11~54 イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
日曜日の聖書

四旬節第5主日:わたしは復活、命である。信じる者は、死んでも生きる。

四旬節第5主日(A年)の福音=ヨハネ11・1~45 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。
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組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト

教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか?
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表

占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。
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神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた

神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい

わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている

きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
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復活節第2主日:イエス「わたしを見ないのに、信じる人は幸いである」

復活節第2主日(C年)の聖書=ヨハネ20・19~31 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、
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聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30)

主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
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聖金曜日はことばの典礼、十字架の礼拝、交わりの儀の3部構成

聖金曜日(主の受難)の典礼祭儀は、普段とは全く違っている。まず祭壇の飾りがない。入祭の歌もない中、神父さんは赤い祭服をつけて静かに入堂し、祭壇の前でひざまずくか伏臥してしばらく沈黙の祈りをささげる。その後祭壇から会衆席に向かっていつもの「祈りましょう」の招きもなく、祈願を唱える。
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聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1)

主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。
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受難の主日:父よ、わたしの霊を御手にゆだねます、と言ってイエスは息を引き取った。

受難の主日/枝の主日(C年)の聖書=ルカ23・1~49〔そのとき、〕民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
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年間第4主日:「預言者は、自分の故郷では歓迎されない」イエスは言った

年間第4主日(C年)の聖書=ルカ4・21~30 〔そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた〕イエスは、「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

待降節第2主日:自らに目覚め、ゆるされたいと願う真剣な自分がいるか?

マイナスやプラスの報道双方に「神からの救いの業のしるし」を見つけていただきたい。わたしたち日本人が大事にしてきたこと、置き去りにしていることは何でしょう。身近なそこにこそ、「神の救いの業の示し」がありはしないでしょうか?
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする

一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められています。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから、お互いを大切にするのは当然のこと。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。
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死者の日:父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。

死者の日の福音=ヨハネ6・37~40 〔そのとき、〕イエスは人々に言われた。 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
アキラさんの絵手紙

暑中お見舞い—アキラさんの絵手紙2021

暑中お見舞い申し上げます
アキラさんの絵手紙

あの素晴らしい愛をもう一度—アキラさんの絵手紙2021

あの素晴らしい愛をもう一度◎あの時同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない◎あの時風が流れても変わらないといった二人の心と心が今はもう通わない