『年間第4主日(A年)』の聖書と説教はこちら

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2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

復活節第6主日:真の絶対的な平和⇒神の手の中にあるという信仰からくる

イエスは弟子たちとの別れに当たり、一度はどん底の闇に弟子たちを突き落とすものの、新しい希望を与えることを約束されます。それは「平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」といわれます。
日曜日の聖書

年間第6主日:貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

年間第6主日(C年)の聖書=ルカ6・17、20-262025年2月16日〔そのとき、〕6・17イエスは十二人と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの...
日曜日の聖書

年間第5主日:彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った

年間第5主日(C年)の聖書=ルカ5・1~10 イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。
日曜日の聖書

主の奉献:両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った

主の奉献(A年)の聖書=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

主の洗礼:「わたし」の受洗の覚悟は何、それは今どこに、・・・

きょうはイエスの受洗記念の祝日です。受洗する必要はイエスにはないのですが、あえて民衆の中に入っていかれます。救いへの道を民衆とともに歩むためです。「民衆はメシアを待ち望んでいて・・・」で始まるきょうの福音。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第33主日:そのとき、選り分けられて「あなたがた」と呼ばれるために

「人々」から「あなたがた」を分けるものは、はたして何なのでしょう。わたしたちは、一人ひとり、それに答えることができているからこそ、今があるのです。  終わりに、人の子から「あなたがた」と呼ばれるために、・・。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第21主日:「つぶやき」が嘆き節ではなく、さわやかな祈りになるように!

自らの辛さ、苦しみ、やるせなさがどうしても気になり、周りに、ましてや神に、イエスに、目と心を向けることがおろそかになってはいないでしょうか。むしろ、そんな時こそ神にすべてを向ける、もってこいの「時」なのではないかと、・・。
日曜日の聖書

キリストの聖体:イエスはパンを取り言われた。これはわたしの体である

キリストの聖体(B年)の聖書=マルコ14・12~16、22~26 除酵祭の第一日、すなわち過越の子羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
日曜日の聖書

キリストの聖体:わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る

キリストの聖体(A年)の福音=ヨハネ6・51~58 わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせること・・・
日曜日の聖書

年間第6主日:重い皮膚病の人に手を差し伸べて触れ、「清くなれ」と言われた

年間第6主日(B年)の聖書=マルコ1・40~45 〔そのとき、〕重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
日曜日の聖書

年間第5主日:イエスはガリラヤ中の会堂に行って宣教し、大勢の人を癒した

年間第5主日(B年)の聖書=マルコ1・29~39 すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネもー緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。
日曜日の聖書

年間第4主日:イエスの言動には権威があり、汚れた霊を退ける力があった

年間第4主日(B年)の聖書=マルコ1・21~28 イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

B年最初の説教は、11/30(木)17:00公開予定です

新しい典礼歴・B年が始まります。12月3日(待降節第1主日)B年最初の説教は、11月30日(木)17:00公開予定で準備しています。公開まで、今しばらくお待ち願います。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第33主日:神の意向に応えるとは?形と掟を守るだけでは足りない

イエスがわたしたちに、「タラントン」の話を通して伝えようとしていることは、形を守り掟にしたがっていることで、神への道を歩んでいると思い込んで、安心しているとすれば、神の豊かな、あふれ出るやさしさ、温かさが見えなくなってしまいますよ、と・・・。
日曜日の聖書

主の変容:これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け

主の変容(A年)の福音=マタイ17・1~9 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘

毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。
日曜日の聖書

三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである

三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
日曜日の聖書

年間第6主日:わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためではなく、完成するためである

年間第6主日(A年)の聖書=マタイ5・17~37〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕  「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。
日曜日の聖書

年間第5主日:あなたがたは地の塩である。塩に塩気がなくなれば役に立たない

年間第5主日(A年)の福音=マタイ5・13~16 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。
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