2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 年間第16主日:毒麦の話は外見で評価し、裁いてしまいがちな人間への警鐘 毒麦のたとえは、いわゆる「悔い改め」に気づく時間を、わたしたちに与えてくださっているのです。同時にこれは、外見で簡単に人を裁くな、それは神の領域の世界である、と言われているのです。自分の「はかり」ほど身勝手で、不安定で不確実なものはありません。 2023.07.20 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 年間第15主日:み言葉を聞いて悟る人は百倍、六十倍、三十倍の実を結ぶ 年間第15主日(A年)の福音=マタイ13・1~23 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 2014.07.10 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第14主日:知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に示した 年間第14主日(A年)の聖書(マタイ11・25~30)そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 2014.07.03 日曜日の聖書
日曜日の聖書 三位一体:神が御子を世に遣わされたのは、御子によって世が救われるためである 三位一体の主日(A年)の福音(ヨハネ3・16~18)神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 2014.06.12 日曜日の聖書
826ブログ 組織図も簡単に作れる!diagrams.net という無償ソフト 教会はもとより、会社や自分が関わっている団体などの組織図や仕事の流れなどを図で示したいと思ったことはないだろうか?そんなときに使うパソコンのソフトは、何だろう? 人それぞれかとは思うが、満足しているだろうか? 2020.07.16 826ブログ
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 主の公現:占星術の学者たちは、「キリスト」に出会いたい人の右代表 占星術の学者たちは、天からのしるしにその心を開き、エルサレムへと向かいます。一方で、ヘロデも「星」について尋ね「わたしも行って拝もう」と言うんですが、その真意は幼子を抹殺することにありました。「星」はすべての人のために輝いています。 2023.01.05 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 神の母聖マリア:羊飼いたちは、マリアとヨセフと乳飲み子を探し当てた 神の母聖マリアの福音=ルカ2・16~21 〔そのとき、羊飼いたちは、〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 2015.12.31 日曜日の聖書
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 待降節第3主日:神のことばを活動の中心に!まずはそのことに目覚めたい わたしたちは神を人間の思考範囲の中に閉じ込めようとしがちです。人間の思いの中で、いつの間にか神を都合よく利用しようとしているのです。こうした誘惑から解放されるには「時」がかかるでしょう・・・ 2022.12.08 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め 待降節第1主日:キリストの降誕を待つ者は、「わきまえる」ことを知っている きょうのイエスの招きは「わきまえていなさい」ということではないかと思うんです。「わきまえ」があれば、どのような場面に遭遇したとしても、賢明な判断と行動ができるようになっていきます。これが「待つ」ことの実りではないでしょうか。 2022.11.24 2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め
日曜日の聖書 年間第15主日:自分のように愛すべき、わたしの隣人とはだれですか? 年間第15主日(C年)の聖書=ルカ10・25~37 〔そのとき、〕ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」 2013.07.12 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第14主日:行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは… 年間第14主日(C年)の聖書=ルカ10・1~12、17~20 〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。 2013.07.05 日曜日の聖書
2022年/C年説教=弱き者を救う神 復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か? 人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。 2022.04.21 2022年/C年説教=弱き者を救う神
日曜日の聖書 聖金曜日:イエスは、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19・30) 主の受難の福音(ヨハネによる主イエス・キリストの受難=ヨハネ18・1~19・42)夕食のあと、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。 2022.04.14 日曜日の聖書
826ブログ 聖金曜日はことばの典礼、十字架の礼拝、交わりの儀の3部構成 聖金曜日(主の受難)の典礼祭儀は、普段とは全く違っている。まず祭壇の飾りがない。入祭の歌もない中、神父さんは赤い祭服をつけて静かに入堂し、祭壇の前でひざまずくか伏臥してしばらく沈黙の祈りをささげる。その後祭壇から会衆席に向かっていつもの「祈りましょう」の招きもなく、祈願を唱える。 2015.04.04 826ブログ
日曜日の聖書 聖木曜日:イエスは弟子たちをこの上なく愛し抜かれた(ヨハネ13・1) 主の晩餐の夕べの聖書(ヨハネ13・1~5)過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。 2022.04.14 日曜日の聖書
日曜日の聖書 年間第4主日:「預言者は、自分の故郷では歓迎されない」イエスは言った 年間第4主日(C年)の聖書=ルカ4・21~30 〔そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた〕イエスは、「この聖書の言葉は、今日あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。 2013.02.01 日曜日の聖書
2022年/C年説教=弱き者を救う神 待降節第2主日:自らに目覚め、ゆるされたいと願う真剣な自分がいるか? マイナスやプラスの報道双方に「神からの救いの業のしるし」を見つけていただきたい。わたしたち日本人が大事にしてきたこと、置き去りにしていることは何でしょう。身近なそこにこそ、「神の救いの業の示し」がありはしないでしょうか? 2021.12.02 2022年/C年説教=弱き者を救う神
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き 年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする 一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められています。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから、お互いを大切にするのは当然のこと。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。 2021.10.28 2021年/B年説教=新しいいのちの輝き
日曜日の聖書 死者の日:父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。 死者の日の福音=ヨハネ6・37~40 〔そのとき、〕イエスは人々に言われた。 「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。 2014.10.30 日曜日の聖書