2012年/B年説教=主との出会い 年間第6主日:本当に価値あるものは目に見えず気付きにくい 「他言無用」の戒めの裏にあるイエスさまの思いは、人々が目先の「癒やし」というご利益だけを求めてイエスさまのもとに集まってくることを恐れての対応だったのではないかといわれています。 2012.02.10 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 受難の主日:全てが終わると思えた瞬間に新たな始まりが動き出す 人間の常識から見たとき、すべてが終わりと思うその瞬間に、新たな始まりが動き出すのです。ここに神のなさり方があります。日常生活の中で、ちょっと意識してみるといいですね。 2012.03.30 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 主の復活:死は人の最終章だがイエスは常識を超えたところに 人間の常識の世界の中にイエスさまはおられないのです。人間の常識を超えたところにイエスさまは存在されるのです。そうあらしめたのはほかでもないおん父なのです。 2012.04.06 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 復活節第5主日:信仰はイエスに留まってこそ引き継がれる イエスさまの受難と十字架の死によって、自分たちの弱さが暴露されたことで、使徒たちは信仰に目覚め、イエスさまのところに留まり続けることができたのでした。 2012.05.04 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 主の昇天:周囲の方々の嘆き節に敏感になれる感性を培う 「福音を宣べ伝える」ということは、その人の信念やイデオロギーを伝えるということではなく、「イエスさまご自身」を伝え、イエスさまとの出会いへと人々を招いて行くことです。 2012.05.18 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い キリストの聖体:「わたしは、いつまでもあなたたちとともにいる」 いつまでもわたしたちを内側から支え、助けようとされるのです。弟子たちを通して約束されたことを、果たし、継続されようとなさったのです。それが「聖体」の秘跡です。 2012.06.08 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 年間第14主日:常識を超えた世界は挑戦してはじめて見える 人々はイエスさまの説教に驚きます。常識を超えた力強さがあふれていたからです。にもかかわらず、自分たちの日常の安定した生活を逃したくない彼らの思いが、イエスさまをがっかりさせます。 2012.07.06 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 年間第15主日:窮地で「神がどうにかしてくれる」確信を持つ 大事なことは、窮地に立たったとき、「神がどうにかしてくださる」という確信があるか。「満足度」をそこに感じるか。日頃からの訓練が必要です。信仰も鍛錬されなければいけないのです。 2012.07.13 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 年間第16主日:心の「ガソリン・スタンド」に立ち寄りましょう 真の使徒職は、原点がその人個人の喜びにあるのではなく、神の深みに触れるところにあります。何物にも邪魔されないで神との出会いが実現するように、人里離れた所に誘われたのです。 2012.07.20 2012年/B年説教=主との出会い
2012年/B年説教=主との出会い 年間第29主日:「無償で他者に仕える」のがイエスの真の弟子 お母さんは子どもに対してごく自然に振る舞います。その行為を惜しいとも損をしているとも思わずむしろ、安らぎとよろこび、躍動感をも感じるといわれます。まったくの無償の愛です。 2012.10.19 2012年/B年説教=主との出会い
2013年/C年説教=寄り添うイエス 復活の主日:復活の核心は苦しみ、悲しみのきわみの果てに 主の復活(C年)の説教=ヨハネ20.1~92013年3月31日 ものごとの変化、成長は、その周囲の環境に影響されていきます。わたしたち人間も例外ではありません。嬉しいことがあれば、それが他者の慶事でも、自分までもが楽しくなってきます。逆... 2013.03.29 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 年間第3主日:信仰年の今こそ、再三再四繰り返す訓練を イエスさまのみことばも同じでしょう。つまり、大昔に語られたことば、教えとはいえ、繰返し読みなおし、黙想する度に、イエスさまとそのたびに新たに出会うことができます。 2013.01.25 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 年間第5主日:信仰は超常識。人間の頑張りには限界がある 「信じること」は、一対一の個人的な呼びかけです。それは、「わたし」が生きる具体的なところにおいてです。家庭であり、職場であり、地域の生きる場です。そこでこそ訓練され、身についていく「賭け」の生き方です。 2013.02.08 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 受難の主日:ゆるしをキーワードに神との絆を見直し、深めたい 受難の主日/枝の主日(C年)の説教=ルカ23.1~492013年3月24日今日からいよいよ聖週間に入ります。毎年のことながら、同じ典礼季節はめぐってきます。ただそれだけで終わっているとすれば、なんともったいないことでしょうか。今年の桜は、例... 2013.03.22 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 復活節第5主日:イエスが教える愛の基準は「自己放棄」 復活節第5主日(C年)の説教=ヨハネ13.31~352013年4月28日人はそれぞれにその人の歴史、苦悩と喜び、辛さと楽しさ等をかかえて生きています。しかも他者にはわからない状態で累積されていきます。そして、それがその人の人となりにも少なか... 2013.04.26 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 復活節第6主日:喜べ!別れがあれば新たな出会いがある 復活節第6主日(C年)の説教=ヨハネ14.23~292013年5月5日 わたしたちの生活は、出会いと別れの繰り返しの毎日といっても過言ではありません。自分に気の合う人もいれば、そうでない人もいます。それによって付き合いの中身も変わります... 2013.05.03 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 主の昇天:見えないが別の形で「共にいる」から心配無用 主の昇天(C年)の説教=ルカ24.46~532013年5月12日わたしたち人間は、等しく、例外なく、限られた時間の中で生活しています。そして、この生き方を楽しむように向けられています。時の移り変わりの中で生きている限り、いつかは終焉の時が来... 2013.05.10 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス 三位一体:神と人の関係はコーチと選手の関係に似ている 三位一体の主日(C年)の説教=ヨハネ16・12~152013年5月26日人間は一つのことに秀でていると他のことはそうでもない、というケースが普通ではないかという気がしますが、・・・。今プロ野球で話題になっているのが、藤浪晋太郎(阪神)と大谷... 2013.05.24 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2013年/C年説教=寄り添うイエス キリストの聖体:人には豊かな包容力のある存在者が必要 キリストの聖体(C年)の説教=ルカ9.11b~172013年6月2日 先進国がかかえる問題点なのでしょうか。さびしい、やるせない気持ちをかかえている子どもたちがこんなにまでたくさんいるとは、・・・。わたしたちが目指している人としての育ちの要... 2013.05.31 2013年/C年説教=寄り添うイエス
2014年/A年説教=神のたしかさ 受難の主日:イエスの悲痛な叫びは弱い人間に共感する証 イエスさまが「・・・自分を無にして、人間と同じものになられました」という時、わたしたちに共感できる方であるということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれます。 2014.04.10 2014年/A年説教=神のたしかさ