待降節第3主日【記事一覧】はこちら

"王であるキリスト"

日曜日の聖書

王であるキリスト:イエスは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

王であるキリスト(C年)の福音=ルカ23・35~43 民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。
アキラさんの絵手紙

御子は見えない神の姿であり・・・アキラさんの絵手紙2019

【Sunday Liturgy 模写】2019年11月24日 王であるキリスト 御子は見えない神の姿であり…(コロサイ1・15)
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

王であるキリスト:イエスは人の罪を背負い、神と人の繋がりを修復する

わたしたちは誰ひとり、自分の過去を塗り替えることはできません。人にとって、唯一救いの道は「ゆるし」です。イエスがわたしたちの過ちを背負い、罪の責任を背負ってくださるのです。自らの過ちに気づき、「目覚める」ことでイエスと出会いましょう。
日曜日の聖書

王であるキリスト:「真理について証しをするために生まれ、この世に来た」

王であるキリスト(B年)の聖書=ヨハネ18・33b~37  〔そのとき、ピラトはイエスに〕「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。
2018年/B年説教=神への道標

王であるキリスト:虚偽と妥協の現実にあっても、キリストの真理を望みたい

人の世界では「言葉」が時として不便な「壁」になることもありますが、神との関係では何の問題もないのです。だからこそ、神とのかかわりを確かめ、追及していきたい。その心こそ、わたしたちに救いをもたらそうとして君臨される王、イエスさまが望まれることではないでしょうか。
日曜日の聖書

王であるキリスト:「兄弟である最も小さい者の一人にしたことは、私にしたことである」

王であるキリスト(A年)の福音=マタイ25・31~46  人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
2017年/A年説教=神のふところ

王であるキリスト:日常生活で自然に行っている業を確認し、奉献しよう

普段、何気なくやっていることを通して、日々、わたしたちはイエスさまに出会っているのです。このことに気付きたいものです。「最も小さな者の一人にしたことは、わたしにしたのである」とおっしゃっておられるからです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

王であるキリスト:私たちが、よってもって立つべき「軸」とは?

ピラトは何度もイエスさまをゆるそうとこころでは思いつつ、ユダヤ人から圧力をかけられ、自分が確信するままに行動できないのです。身の危険を感じると、真理の世界ではなく、虚偽の世界と手を結んでしまいます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

王であるキリスト:神のいつくしみはずっと続きます。救いの輪に取り込んでもらいましょう

罪の状態から抜けきれなくて生涯を終えようとしている盗賊たちと、罪を一度も犯すことのなかったイエスさまとの出会い。正反対の生き方をしてきた双方の出会い。この情景の中で言えることは、今のわたしたちに大きな望みを抱かせてくれます。
2017年/A年説教=神のふところ

主の公現:人はゆるされることによって心身の健康を知り、健康な状態を維持していく

東方からの賢者たちは、何にも邪魔されない絶対的な安らぎを幼子イエスに感じ取っていたのではないでしょうか。周囲をはばかることなく、しかも、それまでの自分たちの仕事道具までもすべて奉献する行動に出ています。「安心した心」の状態を示している証でもあります。
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【カトリック教会の典礼暦】2016年の復活祭は3月27日

復活祭を中心に毎年移動するカトリック教会の移動祭日についての情報と、カトリック典礼の頂点である「主の復活」の聖書やメッセージ(説教)のリンクを掲載しています。
2010年/C年説教=神のまなざし

王であるキリスト:絶望から希望への転換で特別なことは必要ない

自分の罪とその汚れに目覚めるだけでいいのです。あとは、イエスさまが引き受けてくださいます。また、イエスさまは、その人の過去の償いを求めるわけでもありません。責めたりもしません。救いの道はゆるしだけなのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

王であるキリスト:神は倦むことなく、わたしたちをゆるして下さいます

王であるイエスさまの権威をもって、わたしたちは救いへの機会をもらい続けているのです。真の王は、威張るのではなく、まさに、じっと「待ってくださる」方なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

王であるキリスト:神の表彰基準は愛の業を生きたかどうか

愛は、人間であれば例外なく一人ひとりの心から出てくるもの、誰でも可能です。才能、能力、学歴にも関係ありません。また、その愛が大きく目立つものでなくても良いのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

王であるキリスト:神の前に価値があるのは「愛」だけである

毎日の日常的な、卑近な生の営みの中で行われるごく自然な「配慮」から出てくる業です。「渇いている人に水を差しだし、苦しんでいる人に慰めの言葉を語り、ほほ笑みを見せる」ことでいいのです。
2012年/B年説教=主との出会い

王であるキリスト:ピラトが理解できない「この世に属していない国」とは

イエスは「この世に属していない国」の存在を告げようとしますが、この世にしか関心のないピラトにはイエスのことばを受け入れることができず、「真理とは何か」とつぶやいてしまいます。
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【いつくしみの特別聖年】教会の使命を強調する年が始まった

期間は12月8日~来年11月20日フランシスコ教皇の宣言により、カトリック教会では12月8日(無原罪の聖マリアの祭日)から『いつくしみの特別聖年』が始まった。来年11月20日(王であるキリストの祭日)まで続く。いつくしみの特別聖年とはフラン...
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典礼暦が新年を迎える機会に今週の聖書と説教をSEO

カトリック典礼暦は11月29日から新しい年、C年となる。 これを機会に、「今週の聖書」と「今週の説教」のタイトルを変更してみることにした。狙いは、もちろんSEO(検索エンジン最適化)。 アクセスが多いサイトは検索エンジンからの流入が...
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