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"年間第22主日"

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第22主日:自己否定、愛によって高められるいのちの価値

助け合って生きようとすれば、どうしても自己否定、それに伴う自己犠牲がついてきます。そこに愛があるからです。イエスの生き方、十字架への道のりは、わたしたち人間への愛に満ちた、自らの生きる権利までも否定した道のりだったのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第22主日:自分を低くする者は、神によって高くされる

自分の命は、自分でつくり上げ育ててきたものではない。どこにおいても、だれかのお世話になっています。「高められる」「報われる」のはどなたがなさるのかと言えば、いつも神です。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第22主日:「決まり事」には限界がある。絶えず本筋を見つめる努力を

「決まり事」はなくてはいけません。が、しかし、それは人がより良く、安心して、「人間らしく」生きるためにあるものでしょう。それに逆に縛られてしまっては「本来の姿」が覆い隠されてしまいます。絶えず振り返り、本筋に戻ることに勇気を持ち続けたいものです。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第22主日:イエスの十字架は、人間には納得がいかなくとも、神の愛

「真に召された者」にならない限り、人の思いが神の思いと融合することはないでしょう。ペトロたちは神の愛によって十字架の価値を理解し、それを生きるように変えられました。私たちも神の愛によって変えられるようイエスと語り合い(祈り)、その語りを聴きましょう。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第22主日:人は「生かされている」ことを一人ひとりが認識すべき

平和としあわせの背後にあるもの、それは、わたしたち一人ひとりの存在が「いただいている存在」であるということです。自分の力で育てあげてきたものではありません。神の愛がなければ存在しえなかった「わたし」なのです。このことを一人ひとりが熟知し、認識していければ・・・
2018年/B年説教=神への道標

年間第22主日:変わるものではなく、変わらないものに目を向けなさい。

イエスさまがおっしゃりたいことは、外に見える部分ではなく、見えない心のうちをよく見なさい、ということです。外部についてまわるものは、その都度変化していくが、心は変わるものではないからだ、と言われます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第22主日:日常の小さな行いの積み重ねがイエスの十字架に繋がる

わたしたちの日常の小さな愛の行いの積み重ねが、イエスの十字架につながっています。大きいことはできなくても、積み木のように一つひとつ重ねていきたいもの。現代では、この「小さなこと」が見過ごされているのではないでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第22主日:すべてを先に、神が無償で配慮して下さっています

オリンピックに参加できた選手、観衆の皆さんは、自分の能力と謙虚さと新しい自分を発見する尊い場をいただいたのではないでしょうか。「自らへりくだる者」、自分を発見したいものです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第22主日:恵みは外見にではなく、人の変わらない内の姿に注がれる

イエスさまは言われます。「あなたがたは神の掟をなおざりにし、人の言い伝えを固く守っている」と。そういうかたわらで、イエスさまの弟子たちが手を洗わないで食事するのを見て、つまずくのです。そして、今の社会でも、教会の中に「変な人」がいるのに驚き、つまずくのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第22主日:イエスのペトロに対する叱咤は、愛における価値観の違い

天の父の思いを受け入れて「あなたはメシアです」と告白したペトロは祝福してもらいましたが、人の思いに捕らわれたペトロは「サタン」呼ばわりされます。似た体験は「人間の世界」でもあります。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第22主日:「生かされている」という謙虚さが平和をもたらす

外見上の見栄ではなく、「自分」がよってもって立っている根拠(神の無償の愛)に気付けばそれだけ、「わたしらしく」それだけ「謙虚に」なっていく自分が見えてきます。誰でも、その瞬間をだれかに生かされ続けていくのです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第22主日:形に囚われすぎるな!内からの清めと癒しを

イエスさまが今日指摘なさるのは、「形があれば十分であるというような錯覚にとりつかれないように」ということです。そうしたことにこだわっていた当時の宗教上の指導者たちを手厳しくおとがめになります。狭い心になっていきやすいからです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第22主日:人が協力しあうとき必ず誰彼の自己否定を伴う

愛の生き方には必ず苦しみが伴うということです。それをその生き様で示したのが、イエスさまの歩む道だったのです。それが十字架(神の思い)の道でした。
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