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"四旬節第3主日"

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

四旬節第3主日:イエスにごまかしは効かない!「わたしの伝家の宝刀」は?

イエスにとっておきの宝物は神へのひたむきな情熱です。イエスの武器は、貧しさの中で燃える神への愛、炎、安心できる場です。さて、信仰者であるわたしにとっての「わたしの伝家の宝刀」は果たして何でしょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

四旬節第3主日:イエスとの出会いは「わたし」をさらに動かし、輝かせる

目指すべきは相手を疲れさせるものではなく、輝きを与える出会いなのです。そうありたいと心掛け、お互い求めあっていきましょう。その奥に、わたしたちを支え、裏切ることのない輝きをくださるイエスが見えてきます。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

四旬節第3主日:神は、「わたし」の協働を不安と期待の中で待ち続ける

わたしたちが通常、祈り、願う時、その実、何をどうしてほしいというのでしょうか。もしかしたら・・・不幸な事件を噂するとき、知らず知らずのうちに事件に遭遇した人々の罪に目を向けていませんか?今日の福音書では、まさにこのことが指摘されています。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

四旬節第3主日:「お蔭さまで~」は相手の中にイエスの姿を認めること

「お蔭さまで~」の生き方の究極の相手は、イエスご自身。つまり、この挨拶の言葉に隠れている思いは、イエスをその人の中に見ているんだということです。それを自分が意識しているか否かは定かではないけど、・・。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

四旬節第3主日:人の素晴らしさは、他者との出会いによって磨かれ輝く

今日の福音書の話は、イエスとサマリアの女との出会いの話になっています。この出会いは、サマリアの女にとっては人生最良の出会いとなったのではないでしょうか。その叙述からも分かるように、彼女がイエスに出会うまでの人生は、いろいろな複雑な人間関係の中で、人と交わってきたことがうかがえます。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

四旬節第3主日:ちょっとの悔い改めでも良い!神はそこに入ってくる

「神と人との共同作業」によってわたしたちの日々は進行していきます。一人ひとりの安全も、多くの人びとの「共同作業」の力によって得られ、維持されていくのでしょう。一人ひとりがちょっとの悔い改めを進めたいものです。
2018年/B年説教=神への道標

四旬節第3主日:イエスが教える生の源、神への愛に燃えているか自問を

「商売の家にしてはならない」ために、「わたし」をじっくりと見つめてみましょう。信仰者として「生きること」それ自体が「宣教する」ことではないでしょうか!礼拝の中でいただいた恵みと力に助けられ、信仰の分かち合いが、日常生活の中で実践されていきます。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第3主日:生き生きとした出会いを実現するために必要なこととは

サマリアの女は、イエスさまによって冷えきった心の壁を取っていただきました。すべてがさらけ出され、そこに新しい生きる水があふれるほどに流れ込んできました。わたしたちも生きている実感を、イエスさまとともに感じ取りたいです。そのような出会いを日々、実現させたいです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第3主日:神は忍耐深いが、甘え続けてはいけない。時を見て回心を

神は忍耐深く待ってくれる方なのです。人を救うためにご自分の独り子を派遣してくれる方なのです。しかし、神に甘え続けていることはできません。時を見て回心することです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

四旬節第3主日:イエスの「神殿を三日で建て直す」が意味するものは?

「建て直す」は、「復活する」とも訳されるようです。そこで、今後は、エルサレムの神殿に替わって、イエスさまの体が神殿になり、ご聖体になってわたしたち一人ひとりの中に入られるということでしょう。つまり、一民族の宗教から脱皮し、世界民族の宗教になっていくことの宣言であるといえないでしょうか。
2014年/A年説教=神のたしかさ

四旬節第3主日:絶望的な時であっても、希望をもち続けることが大切

今に生きるわたしたちにとっても、「救われた」「元気をいただいた」等、そのように感じた出会い、人、出来事があることでしょう。それらをしっかりと記憶しておくことでしょうね。それによって、次のステップへと飛躍できます。主よ、今日出会う人と、お互いに高め合うかかわりでありますように、・・・。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

四旬節第3主日:神はそばにいる。不意の不幸にも「信じて生きる」訓練を

神の「沈黙」は何を意味するのか。わたしたち一人ひとりに「回心」のチャンスを与えようとしての恵みの時なのです。パウロは言います。「だれがキリストの愛から、わたしたちを引き離すことができようか」。
2012年/B年説教=主との出会い

四旬節第3主日:安らぎは神に!金銭の魔力に求めると「堕落」へ

イエスさまは当時の指導者階級のごまかしに目をつぶっているわけにはいかなかったのです。神への純粋さをなくした世界に、もう一度愛の炎を点じようとなさるのです。
2011年/A年説教=神のみことば

四旬節第3主日:生きた出会いを求め続けたい。生きた出会いで人は素直に自分を開きます。

人との出会いは、単に一緒にいるだけでは意味をなしません。今日の福音に登場しているサマリアの女の言い分を聞けばよくわかります。彼女は、その人生の大事な時期に、大事な人・イエスさまと出会いました。彼女の言葉にはうそ偽りがありません。