年間第8主日(A年)の説教=マタイ6・24~34
2011年2月27日
最近、よく思うことですが、「人はやはり人のために存在している」ということです。他者とかかわりを持ちますと、わずらわしいこと、面倒なこともありますが、基本的には楽しくなってくるものです。
元気をいただきますし、励みを受けることもあり、刺激されます。人としての成長をさせてもらえる場でもあります。その逆もありえますが、・・・。要は、「わたし」の心のありようにかかっているのでしょうか。
いずれにしても、「思いわずらい」から得るものは何もありません。一人ひとりが現実を冷静に見つめ、受諾していくことが必要です。
言い換えれば、自分の力の限界をすなおに落ち着いて見つめる謙虚さが大切です。自分の人生の全体を、自分の思うように背負うことは、自分の力をこえることです。自分の力の限りを尽くす必要はありますが、「わたし」の人生を見つめ、配慮し、導いてくれる存在者が、別におられるのです。
今日の福音はこのことを伝えてくれます。「あなたがたの天の父は、これらのものが皆、必要であることを知っておられる」「それゆえ、あなた方に言っておく。命のために何を食べ、何を飲もうか、また体のために何を着ようかと、思い煩ってはならない」と。
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このわたしの命を大切に見つめ、養ってくれる方は、神なのです。ここに信仰者の明るさと希望があります。わたしたちは、神の愛と力に信頼を表すことです。
このような生き方が、現代社会に生きる私たちに欠けているような気がします。謙虚さと希望と委託を、今一度大事にしていきたいものです。そこから何が見えますか!
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