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主の昇天:周囲の方々の嘆き節に敏感になれる感性を培う

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主の昇天(B年)の説教=マルコ16.15~20

2012年5月20日

主との出会い

わたしたちにとって「ふるさと」は、人それぞれかもしれません。何を称して「ふるさと」と考えているかによるからです。ある人にとっては生まれたところ、他の人にとっては育ったところ、人によっては今のご主人、奥さまと出会ったところなど、様々といってもいいでしょう。

でも大事で、しかも共通なことは、どの場所「ふるさと」でも、今の「わたし」が存在するのに大きな力、影響力をもっているところである、といえます。このような視点からイエスさまの「ふるさと」はどこかな~と、なんともくだらないことを考えてしまいました。

今日の福音は、イエスさまの「ふるさと」を想像させる内容だなと感じております。新しい任地に就きますと、「ご出身はどちらですか?」とよく聞かれます。みなさんも、だいたい生まれ故郷をお答えになることでしょう。転勤続きで居が定まらない方々もいらっしゃいます。その時は親の出身地を拝借する場合もあります。いずれにいたしましても、ふるさとを確認することで我に帰ったり、絆を再確認できます。

イエスさまの生涯は、ガリラヤに始まり、ガリラヤに終わったといえます。マリアさまへのお告げがナザレでなされ、この世での弟子たちとお別れになった(ご昇天)のも、ここガリラヤでした。

この出来事を境にして、イエスさまと弟子たちの関係が変わります。イエスさまは言われます。「すべての創られたものに福音を宣べ伝えなさい」と。そうです。これまではイエスさまが先頭きって宣べ伝えてきたことを、これからは弟子たちが取って代わるのです。

「福音を宣べ伝える」ということは、その人の信念やイデオロギーを伝えるということではなく、「イエスさまご自身」を伝え、イエスさまとの出会いへと人々を招いて行くことでしょう。

そして、教会が出会いの場としての役割を果たしていくことになります。それはわたしたち一人ひとりの役割でもあるのです。大きな責任はありますが、何よりも大事なことは、一人ひとりが謙虚であること、平安であること、周囲の方々の嘆き節に敏感になれる感性を培いましょう。

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