聖家族(A年)の説教=マタイ2.13~15、19~23
2013年12月29日
今日は今年最後の日曜日です。そして、「聖家族」の主日になっております。年の最後に、みなで自分の家族を見なおしてみなさい、と神にいわれているみたいです。毎年のことながら、一年の最後は「自分の家族」に戻りなさいということでしょうか。
確かに、家族あっての「わたしたち」一人ひとりですもんね。生き方、人とのかかわり方等、すべての始まりはこの家族関係からです。人としての社会性、人間形成の基盤は、万人が認めるように、ここ「家族」にあるのです。
「愛する」ことの大事さ、嬉しさ、喜びも、その原点は「身内」の関係性から育っていきます。その中では、他者を敵や競争相手としてではなく、受け入れ助け合う兄弟姉妹としての視点があります。意識することもなく、自然とそうなっていきます。ましてや、駆け引きなども存在しません。相手に条件をつけない「愛」の原点です。これは、わたしたちが生きるために、最も素朴で最も大切で心安らぐことにつながります。
今では全く見ることができなくなりましたが、わたしの幼少のころ、家族で囲む食卓は円卓でした。なつかしいですね。どこに座っても、円卓の中央にある食べ物には等間距離です。○は「輪」ですし、「和」につながります。安らぐ平和な心は家族の中心で育って、そこから発信されていくものでしょう。だから、平和は基本的に「わたし」から始まるのです。「円卓」は家族一人ひとりの思いの具体的な形だったのです。
「聖なる家族」は一体どのような食卓を囲んでいたのでしょうか。一人ひとりの心にあるものが、具体的な形としてその家族の食卓になっていきます。一人ひとりの素朴さ、静けさ、お互いの信頼感、そして神への信頼心。これら一つひとつが家族をつなぎ、輪となり、和をつくり上げていったのです。
わたしたちがこうした生き方を目指す先に、「あなたがたは神に選ばれ、聖なるものとされ、愛されているのです」(コロサイ3章12節)という現実に気づかされるのです。それも日常生活の中で。そこにこそ、家族の原型が、一人ひとりの存在理由が、そして、社会の始まりがあります。そうした意味で、聖家族はすべての家族の原型であり、模範でありましょう。
願わくは、地球上の家族に、今日の祝日の実りをお与えください。また、新たな年を迎え、新たな思いと意気込みをもって、平和な星・地球を実現する小さくても、有効な駒になれますように。過ぎるこの一年を感謝いたします。
コメント