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年間第16主日:大事なことは、神の「お蔭」を感じているか否かです

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年間第16主日(B年)の説教=マルコ6.30~34

2015年7月19日

message-eyecatch2「なぜSOSは届かなかったか」。岩手県内の中学2年生男子生徒(13歳)の自殺事件が起きてしまいました。「ずっと暴力、ずっとずっとずっと悪口」「なぐられたり、けられたり、首しめられたり」。生徒が担任の教師とやり取りしていた「生活記録ノート」には、他の生徒からいじめを受けていたことを示唆する記述が残されていたといいます。「もう市(死)ぬ場所はきまってるんですけどね」などと、自殺をほのめかす言葉も書かれています。(讀賣新聞朝刊・西部版2015年7月12日)

2013年9月にいじめ防止対策推進法が施行されたばかりです。それに伴いまして、「各学校では対策の基本方針の策定や、複数の教職員やスクールカウンセラーで構成する対策組織の設置のほか、いじめに関する定期的なアンケートの実施」が義務付けられました。

「推進法」が設置された真意が、中身が受けとめられていないと、形だけに終わってしまいます。こうした感じの決まり事があまりにも多いのではないでしょうか。自分の地位や名誉に「あぐら」をかいているとすれば、予期せぬ事態が発生した際、それまで培ってきた功績は、ものの見事に壊されていきます。元も子もなくなってしまいます。

きょうのイエスさまのメッセージは、有頂天になりかけた弟子たちへのやさしい警告と言えます。「人里離れたところで休みなさい」。イエスさまご自身がよくなさった行動です。いうまでもなく、「人里離れたところ」とは、日常の喧騒から隔絶されたところです。

具体的ないつもの仕事から離れたところゆえに、生きるために大事な根本的な支えとなっている「神」に、心も体も全面的に向けることができます。今を生きているわたしたちにとって大事なことは、「わたし」と「神」とのかかわりはどのようになっているかです。神の「お蔭」を感じているか否か。

ひとが「有頂天」になるのは、物事の成功の力を自分の力に帰すからでしょう。自分の功績にしたくなるからです。人としては当然の帰結ですが、その成功が次から次へと続けば、人は本当の「自分」を見失いがちになるのも、これまた事実です。

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本来の自分をより高めるためには、成功の度に、その時の「今の自分」を意識することです。自分が見えると、その先に神が見えてきます。神との出会いが、より深く、よりわたしらしく、わたしたちの道のりを導いてくれます。

そして、人の役に立つことができるようになります。権力や地位に依存している限り、いざとなると自分自身の「護身」にまわってしまいます。本来の自分が失われていきます。「お蔭さま」を大事にしたいですね。

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