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復活節第6主日:神の恩恵によれば「高い理想」も実現できる

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復活節第6主日(B年)の説教=ヨハネ15.9~17

2015年5月10日

message-eyecatch2人間は存在そのものが共同体的です。自分で生きていると思っていると同時に、他者のことが自ずと思いの中に出てきます。それは誰かに支えられていることの証明でもあります。意識、無意識に関係なくたくさんの協力と恵みをいただいているのです。

日頃からこうしたことを思ったことはないかもしれませんが、意識されていなくても、一人ひとりが今「ある」ということは、共同体仲間の絆の現れです。仲間同士の支えがあって、かかわりがあっての自分です。

少子化が叫ばれて久しくなります。地域によっては人口の減少で村、町の存続が危うくなってきた場所もあるやに聞きます。決して裕福ではなかったけれども、温かい情緒豊かな交わりがあったあの「長屋生活」が懐かしくなります。同じ境遇、同じ思いを共有できていたからこそ、楽しく元気に生きることができたあの時代と、現代は何がどのように違うのでしょうか。

あの時代は、わたしたちの関心事は「人、命、生きる」ことであったような気がします。その上で、そのために必要なものを求めていたのではないでしょうか。今では、「隣の人は、・・」はたしてどのような方なのか分かっていますか。

「生きること」は当たり前で、あの当時第二義的になっていたものが、今では第一義的になって、何が何でも「大前提」になっているような気がします。そのこと自体はいけないことではないでしょう。しかし、それがないとすべてがダメになってしまうところに問題を感じてしまいます。

いつの時代も「隣人」は大事な存在です。利用するためではないです。お互いを高めあっていくためです。と、分かっていても、尚且つ、わたしたちは利己的です。エゴイストです。自分がかわいいあまり、自分を優先してしまう心が生きています。隣人の幸せを考え、働きかけることがあっても、それが、どこまで本心なのか、・・疑いたくなることが多いようです。

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こうした人間の現実を前にしても、イエスさまはあきらめません。理想を高く掲げるのです。「わたしが愛したように、あなたたちが愛し合うこと、これがわたしの掟である」と。しかも、新しい掟なのです。どこが新しいかといえば「わたしが愛したように、・・」なのです。つまり、神の恩恵によればできます、と言われます。この確信をいだき、大事にしましょう。聖霊が必ず助けてくださるのです。だから理想は高く持つように、とイエスさまは勧められます。日々の「わたし」の目標でしょう。

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