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復活の主日:人間的常識にこだわる限り、「わかりません」としか言えない

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復活の主日(B年)の説教=ヨハネ20.1~9

2015年4月5日

message-eyecatch2わたしたちの身近なところで起こる出来事は、それが人為的であれ、自然的であれ、それこそ想定外なことが、最近、あまりにも多いような気がします。「想定外」ということは、それまで経験のない出来事であるということでしょう。このことは時代を超えて、民族を超えて、いつの時代も誰でも、場所に関係なくありうることです。

安息日の明けた朝早く、マリア・マグダレナは仲間とともにイエスさまの十字架のもとを訪れました。そして、イエスさまのご遺体を引き取り、ユダヤ人の習慣通りに、香料を塗り、覆い布でつつみ、新しい墓に納めました。彼女はイエスさまの死に居合わせ、確かに埋葬まで確認していたのです。しかも、ユダヤの指導者たちは、遺体が盗まれないようにと墓の入り口をふさぎ、番兵までおいたのです。

ところが、彼女が見たのは、空っぽになった墓でした。あるはずの遺体がなく、墓は空なのです。

「主を墓からもちだした人がいます。どこに置いたのかわたしにはわかりません」とペトロに告げます。彼女の思惑を超えた、想定外の出来事でした。人間的常識にこだわる限り、「わたしにはわかりません」としか言えないのです。彼女が見ている方向には主を見出すことができません。あくまでも、この世的な世界の中にとどまり続ける限り、主を発見することはできないということです。

主を運び去ったのは人間ではなく、天のおん父だったからです。必然的に「想定外」の出来事です。そして、彼女の背後から「マリア」と呼びかけられます。そして、想定外の主を発見します。

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すべての人に死は訪れます。人間的に見れば、死によってすべてが終わりです。しかし、「主の復活」は神とつながっている限り、死を乗り越えて新たな命につながっていくことを、わたしたちに保証してくださった、大きな希望をいだかせてくれる出来事です。上(神)に向けられた信仰を、日々の生き方を通して養成していきましょう。深めましょう。高めましょう。

主は、復活されたアレルヤ、アレルヤ、アレルヤ!

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