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年間第21主日:信仰とは、「神の味方であるかどうか」ということです

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年間第21主日(A年)の説教=マタイ16.13~20

2014年8月24日

message-eycatch夏休みに入りますと、幼稚園関係では、すぐに研修会等が開催され、次から次へと重なってきます。とびとびながらも8月初旬まで続きます。また、この8月末になりますと、地域レベルでの研修会が開かれます。一応落ち着いた時期に入り、ゆっくりとしたところで開催しようというものでしょうか。そして、二学期の準備へと歩は進められます。

研修会の中で、講師の方がいい話をしてくださいます。ありがたいことです。わたしのつたない経験からしますと、講師の方を、自分が良く知っているかいないかで、その話を受けとめられたかどうかが決まってくるような気がします。聞こえてくる音(声)と共に、その講師の人となりも同時に聞こえてくるような、見えてくるような気がします。

その時には意識されていなくても。そうすると、ことばの音だけでなく、ことばの奥にあるプラスαの部分が見えてきます。こうできたときに「相手を受け取る」ということができるのではないでしょうか。「わたしはこの人の味方である」ということができます。

平たく言いますと、信仰とは、「神の味方であるかどうか」ということではないかと思うのです。キリスト教は、イエスという人物の「味方」である人とびとがいるということで成り立っています。

今日の福音書の中で、「あなたたちはわたしを誰だというのか」と問いかけられます。いわゆる、イエスさまの正体は「何者か」ということです。福音書はその中身を明らかにしていきます。今日の福音では、ペトロが「まことにあなたは神の子です」と宣言することによって、イエスさまの正体はわかっていることを証明します。

しかも、この信仰宣言は、異邦の地、フィリッポ・カイサリア地方でなされたとなっています。執拗にイエスさまを追いかけてくる群衆の姿はありません。いわば、イエスさまと弟子たちは休息を取りに訪れた地と思われます。その地で、ペトロの宣言に対してイエスさまも宣言されます。「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と。

今のフィリッポ・カイサリアには当時の姿は残っていませんが、ヨルダン川の水源に近い地です。緑豊かな地、湧水の流れ出る地を、イエスさまはペトロを礎とする教会誕生の地として選択されたのでした。この選択そのものに、ご自分の使命の広がりを感じさせます。

そして今もなお、このイエスさまのみ言葉の上に、イエスさまの教会はたっているのです。その引き金となったのは、異邦の地におけるペトロの信仰宣言でした。それを、歴史上の信仰仲間もわたしたちも、世の終わりまで宣言し続けるのです。

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これがわたしたちの信仰です。どのような形であれ、この信仰宣言を人びとに見せ続けること、語り続けること、そこにはペトロからの絶えなる水脈がつながっています。干上がることはあり得ないのです。イエスさまが誰であるかを知っているからです。

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