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主の昇天:イエスとの別れ(昇天)の次にやってくるもの、それは・・・

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

主の昇天(A年)の説教=マタイ28・16~20

2020年5月24日

「ウイルスの次にやってくるものー。みなさんは何だと思いますか」と問いかけています。(南日本新聞2020年5月19日朝刊)問いかけているのは、日本赤十字社です。新型コロナウイルスの感染が拡大した4月下旬、同じタイトルにしたアニメーションを動画投稿サイト「ユーチューブ」に上げました。不安や差別がさらなる感染拡大を引き起こすと訴える内容です。

ウィルスの次にやってくるものは、恐怖?

ウイルスの次にやってくるもの、・・それは「恐怖」だと、動画を制作した日本赤十字社は答えています。未知の感染症を恐れるあまり、暗いニュースや間違った情報を集めたり、人を攻撃したりする社会が生まれます。その結果、具合が悪い人が病気を隠すことで、さらに感染が広まってしまう、と説明しています。

未だにウイルスは終息していませんが、人を攻撃したり、差別視するなどの現象は、すでに起こっています。特に、病気の治療に専念してくださっている医療関係者に対してはそうです。また、人の弱みに付け込んだ「悪徳商売」が出現していると聞きますと、どうしてなの、といつものように嘆き節が出てきます。その頭脳をいいこと、人が喜ぶための方策を考えるほうに使えないものなんでしょうか。残念だなと思ってしまいます。

人は人に安心感を与える存在でありたい

また、新型コロナウイルスは、「体の感染症」「心の感染症」「社会の感染症」三つの病を生み出しますと指摘しています。これを幅広い世代にわかりやすく伝えるために、医師や臨床心理士の監修の下に、動画を作ったそうです。広報担当者は「人が団結し、励まし合い、応援し合うことで恐怖を乗り越えることができること、一人ひとりが今日、自分ができることに取り組もうということを伝えたい」と新聞を読んでいる子どもたちにメッセージを送っています。

人一人ひとりが抱える不安、心配事は異なります。それだけに、その相手になってあげられる人もそれだけ必要になります。本来、人は人を相手にしてほっとする気持ちを抱くことができるものです。それが逆に、不安をあおるような存在者になっていることは、なんとも言いようがなく、その方には、いち早く本来の姿に気づいてほしいなと祈るばかりです。

弟子たちは民衆を恐れ、引き籠っていた

イエスの弟子たちも、ユダヤ人を怖がっていました。民衆を避けるようにして弟子たちだけで集まっていました。まさに、彼らの不安が頂点に達していたことを表しています。イエスは弟子たちの全き指導者でした。弟子たちは、今のわたしたちが持つ弱さ、粗野な部分をも持ち合わせていたのです。その彼らを忍耐強く包み込み、励まし続け、導いてきたのでした。その弟子たちもすっかり甘え切っていたのでしょう。

だからこそ、イエスの十字架は決定的なつまずきの始まりとなったのでした。同時に、それは自らのもろさ加減をいやというほどに体験したことでもあったのです。復活したイエスは、その弟子たちを最後まで相手にし、裏切り行為もゆるし、立ちなおるきっかけを提供してくださったのです。やはり、自分以外の人の存在は大きいのです。

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イエスと弟子たちの関係がそうであったように、わたしたちの今の世界でも人とのかかわりが、自分の足りないところを補ってくれます。なのに、人を何かの理由で遠ざけようとする行為は、その人の励ましにより、力と慰めを感じることができるであろう自らの救いを、ほっとしたい気持ちになりたい自分を拒否することになります。

イエスの励ましで自立の道を歩み始めた

今日は主のご昇天の祝日です。主の十字架の受難時は、弟子たち自らがイエスを拒否しましたが、今日の福音書は、「わたしが去ることは、あなた方の益になる」とイエスは言われ、別離の辛さを乗り越える力と恵みをお与えになります。自立の道へと弟子たちを導かれるのです。

「見ずして信じる者は幸いである」という言葉に示されている信仰が、弟子たちの心に芽生え定着していきます。したがって、これまでの弟子たちとは違った生き方、信仰の感覚が自分たちのものになっていったのです。イエスを拒否するのではなく、たとえ、感覚的にも感情的にも何も感じることができなかったとしても、これまでのイエスの教えの確かさ、恵みの豊かさを見つめ、自らが生きる中心に、イエスを置くことができるようになっていったのでした。

人は誰かに支えられ自分を形成していく

やはり、人は自分以外の誰かに支えられ、励ましを受け、確かな自分を形成していくことができます。他者を攻撃したり、陥れたり、拒否することによって、その実、自らの成長をも拒否していることになるのです。それって、普通に考えますとありえないことでしょう。ウイルスの後にやってくるのは「恐怖」ではなく「和合」であり「安らぎ」であってほしいですね。それは、わたしたち一人ひとりにかかっています。

今日の祝日は、イエスとの別離の瞬間です。これまで、さまざまな体験、悲しみ、痛み、裏切り等を通して得たものが、質的に深められ、確かな信仰として弟子たちの中に根付いていき始めたのです。そして、それが完成されたのが聖霊降臨です。

わたしたちも弟子たちの変遷をたどりつつ、その姿勢から学び取っていきたいものです。今の「わたし」に合った学びの実りは、・・。

 

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