復活節第4主日(A年)の説教=ヨハネ10・1~10
2020年5月3日
新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京五輪と、全国を巡る聖火リレーもおおむね一年の延期となりました。多くの方が関心を示している行事等は、多くの方に開示され、報告されますが、ほとんどの出来事は、ひっそりと知られないままに時を刻んでいきます。
殺伐とした中で、小さなホットニュース
新型コロナに関するニュースは、毎日のようにすべての報道機関を通して知らされ、時には、そのことを聞いたり見たりするたびに嫌気を覚えたり、そして、うんざりして、憂鬱になってしまうこともあります。なんとなく殺伐とした雰囲気の中で、小さな嬉しい出来事を聞いたりしますと、本当にホッとします。
新型コロナウイルス感染予防に役立てもらおうと、指宿市の指宿商業高校3年生が子ども用約110枚を作り、近くのつちはし子ども学園に贈ったそうです。地域と連携する課題研究「指宿茶いっぺプロジェクト」に取り組む10人の生徒さんたちです。(南日本新聞2020年4月27日朝刊) 同校で20日、贈呈式があり、園児代表の年長、操颯汰ちゃんと坂本葵ちゃんに手渡しました。高校3年石川優空さんは「小さな子がマスクをして少しでも元気に過ごせるようになってくれたらいい」と話しています。
また、出水市では、マスクの品薄状態が続く中、鹿児島県建設業協会出水支部が24日、マスク4千枚を阿久根市に寄贈したという報道がなされています。(同上紙、2020年4月28日朝刊)病院や福祉施設などに配布されるそうです。また、長島町と出水市にも4千枚ずつ送る予定があるとのことです。同支部の石澤宗明専務理事(64歳)は「お世話になっている地域に恩返しができれば」と話しています。
例年ですと、自然界が一番華やかに化粧し、わたしたち人間の心身にさわやかさと元気をくれる、喜びの「時」です。それが、新型コロナウイルスの感染拡大により、すべてが変わり、日頃の生活がいかにありがたいものであったのかが、しみじみと感じられる「時」を迎えてしまいました。
このような時だからこそ、ごく小さな「業」を、マスク贈呈はまさにそうです、大事にすべきであるということができます。小さな犠牲、小さな奉献、小さな善行、小さな祈りです。一人ひとりが心がけることが、「わたし」が心がけること自体が、全体のためになっているのです。社会共同体のためになっているのです。その結果、見えないウイルス滅亡へとつながっていきます。
他者を大事にすることで己が養成される
また、そうすることは、他者を大事にすることであり、他者へのやさしさ、愛の表現でもあります。その実りは、わが身に返ってきます。そうです。人に向かうということは、その実、わが身を大事にしていることにつながっていて、より豊かな、温かい思いを持った「わたし(自分)」が養成されていくのです。
その典型的な姿を、「子育て」の中に見出すことができるのではないでしょうか。子育てにあたるご両親は、ひたすら子どもの育ちを願って昼夜を問わず、関わり続けます。かつては、「親孝行したくなる人間を」目指そうと頑張る子どもが多かったように思います。が、それは親の姿を見て大きくなってきた子どもには、ごく自然な思いではなかったのかなと思えるんです。今はいないというのではなく、言葉に出して言うほどではなくなりました。でも、見えないところでは未だにたくさんおられるのではないかと思いたいです。
その思いの延長上に、司祭職があるのではないかと思います。今日は召命祈願の日です。召命の増大を願い、祈るとともに、召命の重要性について考え、自覚を持つ日でもあるといえるでしょう。今では、人口も減少し、ましてや、司祭召命にあずかる人は稀です。召し出しが減少するということは、これからの教会活動におおきなマイナスになります。教会活動は、何も司教、司祭、修道者に依存しているわけではないのですが、必要な存在であることには変わりがありません。
「善き牧者」は命がけで羊の世話をする
今日の福音は「善き牧者」のたとえ話です。牧者は羊のために心を配り、何もかも面倒をみます。牧者は人間としての欲求とも闘い。迷いながらも判断し、苦しみながらも羊のためにと思い、その時に合わせて世話をします。善き牧者であるための条件だとイエスは指摘なさいます。
日本では、そうそう簡単に羊の群れを見ることはありません。ましてや、放牧している情景など日常にはないので、福音の内容がピンとこないかもしれません。確かに、羊そのものは本当に弱いイメージの動物です。自分からは何一つ積極的に動きだすことはしないと聞いたことがあります。だから、羊の群れの先頭にはヤギがいるのだというのです。ヤギのあとについて行けばいいのです。また、「羊は、羊飼いの声を知っている」がゆえに、彼についていきます。かわいいのもひとしおです。だから、いのちを懸けるほどの覚悟が求められるのでしょう(11節)。
わたしたちの人生は、一人ひとりが自らのためになることを追及している限り、それが皆のためになっていることにつながっていることを知ることではないでしょうか。その過程で、一人ひとりが高められ、結果として、皆がともに高められていくのです。
新型コロナウイルス感染予防対策においても、司祭召命の増大を願うことに関しても、置かれた場で、一人ひとりがやれることに邁進することです。それがどんなに小さなことであったとしても、・・・。
マスク贈呈は、小さいながらも大きなことです。
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