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主の洗礼:神が準備された「自分の姿」に向かうとき、己の個性が輝く

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2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

2020年(A年)説教の年間テーマ=「応えていますか、いつも」

主の洗礼(A年)の説教=マタイ3・13~17

2020年1月12日

すべての親御さんにとって気になること、その一つに、生まれてくるお子さんが男の子か女の子かということがあるのではないでしょうか。最近では、当たり前のごとく、生まれる前にわかるようですが、それでも、健康に生まれてくるのかどうかは、やはり心配の一つなのではないでしょうか。

妊婦の顔つきで胎児の性別が分かるとは…

以前よく聞いた話です。妊婦さんの「おなかが前に突き出ると男の子」とか「顔がきつくなると男の子」とか言われていたようですが、・・。「おなかが前に突き出る」ということはにわかに信じがたいようですが、「顔がきつくなる」というのはそれなりの根拠があるようです。というのは、胎児のホルモンがお母さんに影響することもあるのではないかといわれているからです。男の子を妊娠するとその男性ホルモンが影響して、お母さんの立ち居振る舞いが男っぽくなる場合もあるようなんです。

人間の場合はそれほど表れませんが、サルの場合ははっきり表れるそうです。つまり、オスの胎児をみごもった母ザルは、オスザルのような行動をとるのです。その時の血液を調べてみると、男性ホルモンの量が明らかに多くなっています。

赤子は長く眠ることで脳に栄養を補給する

また、赤ちゃんはどうしてあんなに長く眠るのでしょうか。しかも、あまり動くこともなく、起きている間におっぱいを飲んで、それ以外はほとんど眠り続けています。赤ちゃんの睡眠時間は、生後1か月までは一日20~22時間に達するといいます。大人にとって睡眠は、脳を休めたり、情報の整理をするためのものです。しかし、赤ちゃんの場合はそれだけでなく、なんと、脳を発達させるために休むんだそうです。睡眠中だと、血液は主に脳のために使われます。睡眠中の脳の血液の流れは、起きている時よりも20%も増えます。つまり、脳は眠っているとき血液から栄養をもらって発達するのです。

何と言いましても、人間の脳は動物に比べてかなり未熟な状態で生まれてくるのだそうです。したがって、より早く発達させるために、赤ちゃんはたくさん眠らなければいけないというわけです。「寝る子は育つ」の言葉通り、どんどん成長していく赤ちゃんにとって、眠ることが成長につながるということになります。

子どもの「育ちの力」は刷り込まれている

わたしたちはみな、同じような育ちを経て大きくなっていきます。その育ちを自分自身が意識し、さらに制御できるかできないかに関係なく、等しく万人の中で行なわれている成長の発達過程をたどります。また、親御さんが我が子に「こうなってほしい、ああなって欲しい」と思ったとしても、その通りに行かない「育ちの力(個性)」が、すでにその子の中に刷り込まれているのではないでしょうか。だからこそ、命の重みは万人に等しく備わっています。わたしたちの知らないところで備えられているのです。

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今日は主の洗礼の主日です。イエスの宣教に先駆け、洗礼者ヨハネが天の国の到来を告げ、回心を求めて洗礼を授けていました。ヨハネのもとに集まってくる群衆の中に交じって、イエスがガリラヤから洗礼を受けようと思ってやってくるのです。罪のないイエスは回心の洗礼を受ける必要はないはずです。だから、ヨハネは洗礼を受けようとするイエスを思いとどまらせようとします。イエスこそ、ヨハネの後に「聖霊と火による洗礼」を授ける方だということを、ヨハネ自身が知っていたからでしょう。

イエスが必要のない洗礼を受けた理由は

しかし、イエスは「今は、止めないでほしい」と洗礼を望みます。そして続けます。「このように、なすべきことをすべて果たすのは、わたしたちにとって正しいことです」と付け加えます。この言葉が今日のメッセージの大切な言葉ではないかなと思います。つまり、「わたしたちにとって正しい、・・」は何を伝えようとしているのでしょうか、ということです。

そこで、「わたしたち」という複数形は、イエスとヨハネ、また、集まってきた民衆を含めた「わたしたち」を指していると受け止めるのがふさわしいとされます。すなはち、「正しさ(義)」は人間のそれを指していることになります。つまり、イエスがヨハネのもとにやってきたのは、「彼から洗礼を受けるため」であり、他の民衆も同じ理由でそこに集まってきています。イエスは特別な存在ではありますが、「今」は洗礼を授けてほしいと願い出るのです。

人が神に対してとるべき態度を示すため

したがって、イエスは民衆の一人としてヨハネの前に現れたのです。そして、預言者の時代が終わりを告げる「今」、ヨハネから洗礼を受けるのです。このことこそが、神が人に望むことだからです。そして、イエスは人が神に対してとるべき態度「正しいこと」を自ら示されたのです。その結果、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」という声を引き出したのです。

わたしたちが知らないところで働かれる神、神が望まれることを、望まれるような形で、わたしたちが気づき果たしていけることが、神に対してとるべきわたしたち人間の姿なのでしょう。人の育ちも、神が準備され、望まれるように向かうとき、その人の個性が遺憾なく発揮されます。

今日の祝日は、神がわたしたちのために準備された「人のあるべき姿」に、改めて目覚める祝日です。そして、神の「愛する子」の時代の幕開けです。

 

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