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主の洗礼:神と人との関係を知るためには「祈る」こと

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主の洗礼(C年)の説教=ルカ3.15~16、21~22

2016年1月10日

神のぬくもりいつの間にか「正月気分」は過ぎ去り、いつもの日常が始まりました。表向きは何ら以前と変わっていることはないでしょうが、変わったのは確実に一つ歳を重ねたことです。ということは、昨年よりも確かに「賢明」になるべく歩み始めたということでもあります。このことを実感したいですね。「年を重ねる」というのは、人生の年輪ですものね。

その人生の始まり乃至はある節目に、神に導かれてキリスト教の洗礼を受けた方もいらっしゃいます。年齢、性別に関係なく、何かに揺り動かされたものがあったのではないでしょうか。少なくとも、成人なさってからの受洗は、その動機を含めて記憶の中にあるのではないかと思っています。それが青春時代なのか、熟年期に入ってなのかは問題ではありません。大事なことは、今日のイエスさまの姿の中にあります。

「民衆が洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、・・」とルカは表現しています。そして、天からの声がこだまします。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声です。祈るイエスさまから引き出されたメッセージは、今までにない新たな何かが始まる荘厳なしるしを感じさせます。

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それまで、ひっそりとナザレの田舎で過ごしていたイエスさまが、いきなり、30歳になって躍動し始めるのです。「機が熟した」のです。ひっそりと隠れていた神の力・聖霊がやっと、イエスさまを通して世に示され始めたのです。ルカは「祈るイエス」の姿を大事にして、ことを実現させていきます。

「祈ること」これは、ルカにとってだけでなく、今のわたしたちにとりましても、いうまでもなく、大事なことです。イエスさまは、大事なことを決断し、実行なさるとき、その前に、必ず「祈る」のです。祈ることによって、神の見えない力と恵みのあふれを、人に明らかにさせていきます。

神と人との関係を知るためには「祈る」こと、これこそがふさわしい道でしょう。それは今も、これからも変わることはないでしょう。「祈り」は今日、「わたし」が生きている具体的なこの場所で生まれ、捧げられるものです。今何をしていますか、それはどのように展開されていきますか、そして、どのような結果が予想されますか、こうした移り変わりが祈りの言葉として出てきます。

わたしたちの受洗は、いつまでも、神とつながっていることを、祈りを通して深まっていくことを求めて、突き動かされた実りといえます。この一年を神との繋がりの中で、「賢明に」生きてみましょう。

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