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四旬節第3主日:絶望的な時であっても、希望をもち続けることが大切

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四旬節第3主日(A年)の説教=ヨハネ4.5~42

2014年3月23日

message-eycatchわたしたちの身の回りにある生活必需品等は、日に日に発達し、便利になっていきます。それにつれて、それらがなかった時代の生活が忘れられていくのではないでしょうか。つまり、「苦労すること」がないがしろにされていき、それがその人の「人となり」にもかなりの影響を与えていきます。

「朱に交われば赤くなる」ように、今ではいいことのたとえには使われないようですが、いい人との出会いは、いい影響を受けます。今日の福音は、イエスさまとの出会いを体験したサマリアの女の話です。イエスさまが一対一で、しかも対話形式で教話されるのは珍しい光景です。

彼女は、イエスさまとの出会いで、過去の自分の生き方を清算し、明るい生き方をしていく力とヒントをいただいたのでしょう。しっかりと今までの自分をながめ、見つめ直して方向転換ができたのでした。「わたしには夫はありません」という言葉は、彼女の信仰告白にも聞こえます。

イエスさまは彼女を追い込んでいきます。というよりも、彼女の心の奥底に潜んでいる生きることへのあきらめから脱し、いのちの炎を焚きつけようとなさいます。それによって彼女は、これまでは、打算的に、しかたなく生きてきた自分を発見したのでした。丸裸にされた自分をしっかりと見つめることができたのでした。そして心から自分の赤裸々な姿を開示します。「主よ、わたしが二度と渇きを知らず、ここに水汲みに来ないでもよいように、永遠の命にわき出る水をください」と。

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イエスさまの彼女へのかかわりから判断しますと、絶望的に見える彼女の中に、生きることへの、わずかでもあった「希望」を見逃さなかったのではないでしょうか。望み続けることの大事さが、外面には見えなくても、人の救いにつながっていくのだと、改めて示されたようです。

今に生きるわたしたちにとっても、「救われた」「元気をいただいた」等、そのように感じた出会い、人、出来事があることでしょう。それらをしっかりと記憶しておくことでしょうね。それによって、次のステップへと飛躍できます。

主よ、今日出会う人と、お互いに高め合うかかわりでありますように、・・・。

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