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年間第20主日:苦悩の中で出会った神の恵みに気付いていますか?

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2017年説教の年間テーマ「神のふところ」

【神のふところは限りなく大きい】

年間第20主日(A年)の説教=マタイ15・21~28

2017年8月20日

毎年のことながら、8月15日は日本全国、津々浦々で「終戦の日」「お盆」を迎え、墓前に手を合わせる人々の姿が報道されます。どの報道を取り上げても、「戦争は二度といけない」「戦争で一番、犠牲になるのは弱いこどもたちだ。もう二度と戦争を起こしてはいけない」と、戦争否定、平和擁立、擁護の内容が圧倒的です。であるのに、現実はどうでしょう、・・。

「戦争孤児」体験者の新聞記事が今日のヒント

「戦争孤児 僕らで最後に」「路上生活、飢え…語り始めた85歳」の見出しで、体験談が紹介されていました。(讀賣新聞大阪本社、2017年8月15日朝刊)それによりますと、太平洋戦争で親や家族を失った孤児たちは、生きのびるために路上で物乞いをし、時には食料を盗んだといいます。社会からさげすまれ、死と隣り合わせだった過酷な体験を語る活動を続けている京都市の男性が紹介されています。

13歳で戦争孤児、身を寄せた親戚宅でも虐待を受け

その方は、終戦当時13歳だった小倉勇さん(85歳)です。1945年7月12日夜、福井県敦賀市を米軍の爆撃機が襲いました。その翌朝、自宅近くの貯水槽で変わり果てた、顔が黒く焼け焦げていたお母さんを見つけたんだそうです。「悲しすぎて声も出なかった」と語っておられます。また、翌46年には父親も病死。身を寄せた親戚宅では、優しかった親戚が態度を一変。食事を抜かれ、ののしられ、耐えきれずに半年たつと飛び出したそうです。

東京・上野で路上生活、栄養失調から急性緑内障で失明

その後、食料や風雨をしのげる場所を求めて、列車に無賃乗車して闇市のあった上野に辿りつたということです。そこには、全国からの孤児が集まり、駅の地下道などで路上生活を送っていました。着ている服はボロボロ、その上、シラミがわき、悪臭を放っていたのです。その中で、小倉さんは栄養失調で急性緑内障を患い、視力を失いました。仲間ができたとはいえ、みな、生きるのに精一杯です。「東京にいるのは辛い」と、京都に流れ着きました。そして、警察官に保護され、児童保護施設に送られました。そこで、やっと、温かい人との触れ合いを体験するのです。その人というのが寮長の黒羽順教さんでした。

京都の児童保護施設で出会った寮長が生涯の恩師となる

小倉さんの生涯の恩師となった黒羽さんは「誰かに必要とされる人になって欲しい」というのが口癖だったといいます。小倉さんは盲学校(今の特別支援学校)を卒業し、京都市内にマッサージの施術所を開設し、生計を立てるまでになりました。小倉さんは、自分が戦争孤児であったことをひたすら隠してきたといいます。思い出すのが辛く、悪いこともしたからです。しかし、戦争の記憶の風化を感じ、何よりも「戦争で一番、犠牲になるのは子どもたちだ」との思いもあって、2年前から学校や寺などで体験を語り始めたのだそうです。

人間、生きるか死ぬかの瀬戸際にたたされると、否、究極に立たされると、ひたすら生きることに一生懸命になります。そのためには、自分でも予想できないプラスアルファの力がみなぎってくるのでしょう。先人たちの戦争体験談を聞くたびにそうなんだと思います。「食べること」は、人の心身のまともな成長のために欠くことのできない重要なできごとなのです。

福音のカナンの女と戦争孤児は必死さで共通

今日の福音では一人のカナン人の母親が登場します。わが娘を思う親の心は、昔も今も変わることなく必死です。娘の幸せは親の幸せでもあるのです。多分、長い期間、苦しめられてきた娘の姿に、親としてできる最大のことは何なのか、必死に考えてきたことでしょう。そこに、イエスさまにとっては「異邦人の町」に、かの噂高い方がお出でになったということで、癒しの恵みを願いにやってきたのでした。

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この時のイエスさまの対応は、人間的に見ますと非常に冷たく感じます。この女性は、イエスさまを最後の救いの頼みの綱と思って来たのではないでしょうか。イエスさまの沈黙は、母親の心の痛みを、辛さを、さらにその奥へと追いやってしまいます。それでも母親は追いすがります。自分は、イスラエルの民でもなく、恵みに値しないものであることも承知しています。ただあるのは、暗闇と絶望です。ただ、ひたすらイエスさまのあわれみに向かって叫び続けるのです。

カナンの女は娘のためにひたすら叫び続けた

こうした母親の姿に、イエスさまはイスラエルの民に消え去っている「信仰」の姿を見出したのではないでしょうか。あの「沈黙」という冷たさとは打って変わって、優しく「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの望みどおりになるように」と声を掛けられます。

苦悩の中で見出した一条の光は神との出会い

究極に立たされた時の「温かいまなざし、援助の手」は、人間回復に大きな力です。戦争孤児となり、生きるどん底を体験した小倉さん、生きることの絶望の淵に追いやられていたカナンの女性。苦悩の中で見出した一条の光、それは恵みとの出会い、神との出会いであったのです。信仰を見出すのは「どんな時」でしょう。

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