『年間第33主日』の聖書と説教はこちら

主の受難

日曜日の聖書

受難の主日:イエスは大声を出して息を引き取った。すると、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた

受難の主日/枝の主日(B年)の聖書=マルコ15・1~39 受難の朗読は長いので、ミサでは3人で分担して行われます。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

受難の主日:「今」を大事に。「他者」を大事に。生きる本当の意味が訴える

現実に自分の周りで起きる出来事の中に、神の関与、神の助け、神の動き、神の配慮を感じ、その結果として人が行動するなら、それは「証し」になっていきます。百人隊長は、そのことを自然にできたのです。百人隊長が言った言葉「本当に、この人は神の子だった。」を噛み締めましょう。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

受難の主日:イエスはなぜ、苦しみの道を通らなければならなかったのか?

昔からの言い伝え、きまりを大事にするあまり、本物を見失っていくことはよくある日常的なことでしょうが、それも、その「もの」の重要度、必要度等によります。そこで、今一度はっきりと見つめてみましょう。
日曜日の聖書

受難の主日:百人隊長や見張りの人たちは「本当に、この人は神の子だった」と言った

受難の主日/枝の主日(A年)の聖書=マタイ27・11~54 イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

受難の主日:いかなる時にも動揺しないイエスに、訴えましょう、甘えましょう

福音記者ルカはわたしたちに、人間の暴力にも憎しみにも、愛の心をもってこたえるイエスの中にこそ、平和の原点があるということを訴えているようです。だから、イエスに向かう、祈る価値があるのです。イエスにすがりましょう。
日曜日の聖書

受難の主日:父よ、わたしの霊を御手にゆだねます、と言ってイエスは息を引き取った。

受難の主日/枝の主日(C年)の聖書=ルカ23・1~49〔そのとき、〕民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

受難の主日:選択を迫られる時代こそ信仰の感性、人間の感性を豊かに

イエスのそばにいたとしても、心が遠くにある限り、イエスの十字架は「つまずかせる」ものでしかありません。「イエスのほうを向いて」そのそばに立っているとき、「神の子だった」と神の救いの業を見て取ることができます。
2017年/A年説教=神のふところ

受難の主日:イエスの受難は人間の醜さの現れ。弟子の裏切り、権力者の横暴と保身、民衆の無節操など

裏切られ、傷つけられ、神からの支えも感じられないほどの闇の中で、その生涯を終えようとするイエスさま。イエスさまが通られた苦しみの道を、わたしたちは今一度しっかりと見つめなおすべきでしょう。「イエスさまの道」があったからこそ、今のわたしたちがあります。
2018年/B年説教=神への道標

受難の主日:神は「わたし」を評価する。たとえ他人が評価しなくても!

わたしたちにとって、日常の生き方の中で、人の感覚としては無意味に見えても、無駄に感じられたとしても、必ず前向きのメッセージが込められているそのものを、注意深く会得できますように!
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

受難の主日:キーワードはゆるし続ける!尽きることのない人間への愛

人間が持つ醜さ、不正と暴力に対して、愛をもってこたえられたイエスのこころ・業は、日々の人間関係で悩むわたしたちに、解決の鍵を与えてくれるものではないでしょうか。イエスのキーワードは、「ゆるし続ける」尽きることのない人間への愛でした。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

受難の主日:今起こっているできごとの中で、イエスの受難を黙想したい

来る聖週間の典礼を通して、神のわたしたちへの関りをじっくりと見つめてみませんか。神にしていただいたあの事、この事、たくさんあるのではないでしょうか。その時の神からのメッセージは何だったのでしょうか。
2015年/B年説教=イエスのこころ

受難の主日:ローマの百人隊長がこの人は神の子であったと宣言

百人隊長は、苦しみにじっと耐えながら前に進もうとしているイエスさまに、何を見たのでしょうか。何を感じ取ったのでしょうか。イエスさまの外見を見る限り、「神の子」であることを感じさせるものはないのに、・・。
2016年/C年説教=神のぬくもり

受難の主日:むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け(ルカ23.28)

受難の朗読がなされます。長いルカの朗読の中で、注目してみたい言葉が、嘆き悲しむ婦人たちに向けたイエスさまの言葉です。「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはない。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」と。
2011年/A年説教=神のみことば

主の受難:イエスは「神よ、神よ、どうしてわたしを見捨てられたのですか」と叫ばれた。

イエスさまは人から排斥され、しかも、心血をかけてきた愛弟子たちからも見放されていったのです。この事実をはっきりと認識できる今年の聖週間でありたいと思います。「わたし」の救いは、無実なイエスさまの苦しみの上に実現されたことを、改めて感謝することでしょう。
2012年/B年説教=主との出会い

受難の主日:全てが終わると思えた瞬間に新たな始まりが動き出す

人間の常識から見たとき、すべてが終わりと思うその瞬間に、新たな始まりが動き出すのです。ここに神のなさり方があります。日常生活の中で、ちょっと意識してみるといいですね。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

受難の主日:ゆるしをキーワードに神との絆を見直し、深めたい

受難の主日/枝の主日(C年)の説教=ルカ23.1~492013年3月24日今日からいよいよ聖週間に入ります。毎年のことながら、同じ典礼季節はめぐってきます。ただそれだけで終わっているとすれば、なんともったいないことでしょうか。今年の桜は、例...
2014年/A年説教=神のたしかさ

受難の主日:イエスの悲痛な叫びは弱い人間に共感する証

イエスさまが「・・・自分を無にして、人間と同じものになられました」という時、わたしたちに共感できる方であるということです。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれます。
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