年間第6主日(A年)の説教=マタイ5・17~37
2017年2月12日
全世界の人々の関心事は、なんといっても「平和」
最近の新聞の一面は、トランプ米大統領の動向に関する記事内容でにぎわっているようです。大統領令の発布、それに関する外国の首脳たちの反応、米国内の関係者の諸意見と動きなど。大国だけに政界・経済界全般にわたる影響も大きいことがうかがえます。日本も例外ではないでしょう。
それにしても、全世界の人々の共通の関心事は、何といっても「平和」なのではないでしょうか。安全で穏やかな日々を誰もが期待していますし、願っています。何もアメリカ人だけではないはずです。地球上に生活するすべての人々が心底、希求し、勝ち取りたい現実ではないでしょうか。
自国の安全を守るための入国検査の厳格化には批判も
「入国審査の厳格化までの暫定措置であり、米国の安全が高まる」という説明のもと、トランプ大統領がテロ対策を名目に打ち出した入国制限の大統領令に対し、内外で批判が拡大しているようです。中でも、中東・アフリカ7カ国からの入国を制限する大統領令を巡り、憲法違反だとして提訴が相次ぎ、反発が拡大しています。
シアトルの連邦地裁は大統領令の効力を「一時差し止め」
しかし、ワシントン州シアトルの連邦地裁が、中東・アフリカ7カ国からの入国などを制限する大統領令について、「回復不能の損害が生じる可能性がある」として、効力を一時差止める命令を出しました。全米で即時に適用されるということです。(讀賣新聞大阪本社朝刊2017年2月5日)
時代の流れの中で、その時勢にあわなくなってしまう法律も出てくるでしょう。所詮、人間がつくったものです。だから、行政において、必要に応じて改革が求められるものであるということは、心しておくべきことなのでしょう。
法律は人間を拘束するものではなく、人間らしさを手助けするもの
人口が増え、社会が大きくなればそれだけ、「秩序」が必要になります。一定のルールが求められます。そのルールは人間にとって役にたつものであって、いつもプラスの益をもたらすものでしょう。それによって、人が不安を抱いたり、恐怖に陥れられたりするものであってはいけないのではないでしょうか。法律は人間を拘束するものではなく、むしろ自由にし、より人間らしく生きることを手助けするものでしょう。
イエスはひとり一人に、新たな挑戦を促している
このことを言わんとしているのでしょうか。イエスさまは今日の福音で、より「わたしらしく」生きるために話されます。「あなたがたも知っている通り・・・あなたがたも聞いている通り・・・しかし、わたしはいう」と、新たな挑戦を促します。
「あなたがたも知っている通り、・・あなたがたも聞いているように、・・」という言い方は、すべての人が、すでに、すべてのおきてを知っていることが前提とされています。だけど、「知っている」だけではどうしようもないといわれるのです。
「知ってはいる」けど、・・・では不十分!
今のわたしたちも「知ってはいる」けど、・・。ということがないでしょうか。そして、自分は実行してもいないのに、他人にはそのことを要求してしまう傾向があります。だから、今日の福音にあるようなことを指摘されますと、しり込みしたくなります。どうしても、外見を品よく見せようという欲求が先走るのです。
イエスさまが「あなた方は、わたしが律法や預言者たちを廃止するために来たと思ってはならない。廃止するためではなく、成就するために来たのだ」とおっしゃるとき、外に見える面だけで悪をしない、というだけでなく、心の底から断ち切るようにと言われているのでしょう。これまた、過去の経験から、わたしたち「凡人」にはその実践が難しいです。
難しくても、そこに向かって進まないと、道は閉ざされる
しかし、イエスさまの言葉の奥にあるものは、難しくても、そこに向かって進んでみましょう、と言われます。でないと、「地上の平和」への道が閉ざされます、と。平和は一人ひとりから始まるからです。
今日のイエスさまは、「平和」実現のために挑戦しなさいと強力に勧めておられます。ここに、律法の完成があります。
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