ミサを休む時は、かつては司祭の許可が必要だった
「雪が降っても、嵐が来ても、何があっても日曜日のミサを休んではならない。もし、日曜日のミサに参加できない時は、主任司祭にその理由を述べ許しを得なさい」というのがカトリック教会の教え。
少年時代、もう50年以上も前に教わったこと。
第2バチカン公会議を経て50年、社会に開かれた教会として時代対応を目指す現代でもその教えは生きているのだろうか?
最近では日曜日にミサを休む際に主任司祭の許可をもらうなんて話を聞いたことがない。少なくとも私の周りにはいないように感じたので、2年ほど前にある勉強会で質問した。
すると、教会のおきてを示され、教えは不変であるとのこと。
教会のおきては変わっていない
教会のおきて (1972年刊)
- 第一 日曜日と守るべき祝日にミサ聖祭にあずかり、 労働を休むこと。
- 第二 少なくとも年に一度大罪を告白すること。
- 第三 少なくとも年に一度復活祭のころに聖体を受けること。
- 第四 定められた日に償いの務めを果たすこと。
- 第五 おのおのの分に応じて教会の維持費を負担すること。
今朝は、そんなことを思い出しながら、雪の中、教会に向かった。
外は昨日からの予報通り積雪、明け方から降り出した雪はやむ気配はない。
昨日からニュースや気象情報で、「日曜未明から月曜日にかけて九州南部・薩摩地方では大雪、ところによっては吹雪となる。これまでに体験したことのない雪」とのことだったので、高台にある我が家から車での外出は諦めていた。
教会までは、普通に歩いて約30分なので、倍はかかるだろうと思っていつもより早めに出たところ、45分で到着。
車が傍を通ると、身の危険を感じた!
途中、狭い道で後ろから私を追い越す車が近づいてきた時は何度かヒヤッとした。もっと速度を落としてくれ!スリップしたらどうする?私を巻き込んだら承知しないよ!!
こんな日に車を運転する人は雪道の心得があるのだろうか?チェーンを巻いている車ならいざ知らず、ノーマルタイヤでしかも若葉マークを付けた車までいたものだから、つい車に愚痴りながら歩いてしまった。
マナーがなっていない!と運転手を罵ったり、車が近づいて来たら、スリップしてこちらに突っ込んで来やしないか!と、身の危険すら感じながらまでミサに行く必要があるのだろうか?
厳寒の道を歩いた日本26聖人に思いを馳せながら
車と出会わない時間は、静かに26聖人たちに思いをはせることができたのは恵みだった。私は防寒したうえで雨合羽を羽織り、靴下は2枚ばきで長靴だ。雪は完全に防御できている。
それに比べ、京都から長崎まで極寒の中を歩かされた日本26聖人の辛さはどれほどだったのだろう?
ミサが終わって聞いてみると、ほとんどの方が徒歩かバスで来たとのこと。中には「スパイクを履いてきた」というご婦人がいたので、見せていただいたところ、靴の下に装着するツメ(アイゼン)だった。
80代のご婦人のミサに対する熱意にあらためて感激しながら帰ってきた。
原理原則は厳格だが、現実は柔軟な対応
先に書いた教会のおきてについての話の中で、「教会の教えは原理原則は厳格である。しかし、現実への対応は愛をもって行う」とのことだった。
大雪でミサに行くことができなかったとしても、それを即、罪に定めるということではないとのこと。念のため記しておきたい。
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