『復活の主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2013年/C年説教=寄り添うイエス

王であるキリスト:神は倦むことなく、わたしたちをゆるして下さいます

王であるイエスさまの権威をもって、わたしたちは救いへの機会をもらい続けているのです。真の王は、威張るのではなく、まさに、じっと「待ってくださる」方なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

王であるキリスト:神の表彰基準は愛の業を生きたかどうか

愛は、人間であれば例外なく一人ひとりの心から出てくるもの、誰でも可能です。才能、能力、学歴にも関係ありません。また、その愛が大きく目立つものでなくても良いのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

王であるキリスト:神の前に価値があるのは「愛」だけである

毎日の日常的な、卑近な生の営みの中で行われるごく自然な「配慮」から出てくる業です。「渇いている人に水を差しだし、苦しんでいる人に慰めの言葉を語り、ほほ笑みを見せる」ことでいいのです。
2012年/B年説教=主との出会い

王であるキリスト:ピラトが理解できない「この世に属していない国」とは

イエスは「この世に属していない国」の存在を告げようとしますが、この世にしか関心のないピラトにはイエスのことばを受け入れることができず、「真理とは何か」とつぶやいてしまいます。
2010年/C年説教=神のまなざし

年間第33主日:神の愛への信仰が苦しみを耐え抜かせてくれる

肉体的な殉教という現実は、今ではないでしょうが、精神的には今でも絶えず繰り返されているのではないでしょうか。「祈り」こそ、このことを物語っています。「どうぞ、主よ、わたしたちの信仰を増してください!」
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第33主日:神の意図を自分流に思い違い、正当化してはいないか?

当時の考え方からしますと、地中に金を埋めることは安全かつ最良の方法と考えられていました。だから、しもべは自信があったのです。しかし、彼には見落とした重要なものがありました。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第33主日:人の豊かさは周りとの関わりの中で成長する

人から期待され、頼りにされることの喜びがあれば、「わたし」の周囲にいる人にもそれが広まっていきます。人の営みは、実はこうしたかかわりが理想なのではないでしょうか。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第33主日:「選ばれた人たち」にとって死は滅びではない

死は不安な、怯えながら待つ時ではなく、熱心に、期待しながら待つ時なのです。それは、「今日」という日を目覚めて生きることの先にあります。「終わりの時」が今から始まっているのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第32主日:「未来の現実」にあわせた今を変える勇気が大事

「今」を大事にしすぎるあまり、未来を軽視してしまう生き方には注意しなさいというのが、イエスさまの今日のメッセージのような気がします。当時の結婚式は、夜行われていたそうです。当時は電気はありませんから、どうしても油を使ったともしびが必要でした。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第32主日:「やもめの献金」は生活費を全部入れた

このやもめがだれよりもたくさんの献金を入れたと、イエスさまは弟子たちに断言なさいます。「この人は、乏しい中から自分のもっているものをすべて、生活費を全部入れたからである」
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第32主日:他者に開かれた生き方が、人間本来のあり方です

「生きている者の神」との交わりは、「死」によって、途切れることはないのです。だからこそ、今、この世で信仰していることの大きな意味があります。そして、天国へのあこがれも強くなります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第31主日:権威は、何を根拠に成り立っているのでしょうか?

人間社会の中の権威は、どこか傲慢的で人を見下し、打算的な気がします。しかし、どんな権威でも、正しいことをいっている限り、その権威を否定しないのがイエスさまです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第31主日:人間にエゴがある限り権威は堕落する可能性大

謙虚さ、誠実さ、純粋さが神に向かう生き方の原動力になります。ここに本来の「奉仕」の心があるのではないでしょうか。このような権威を持った人との出会いができることは、なんと幸いなことでしょうか。黙っていても安らぎと充実感を味わえそうです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第31主日:最高の掟は愛。互いに「お大切に」 しあうこと

宗教者として力ある指導者であった律法学士は、失われた大切なものを取り戻すために、イエスさまのところに来たような気がしてなりません。「すべての戒めの中で、どの掟が第一ですか?」
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第30主日:祈りは、他者との関係から生まれてくる「わたし」の奉献

祈りは実に単純、簡潔、飾り気がありません。取税人は顔もあげず、罪深い自分をあわれんでください、とだけ訴えます。それ以上は要らないのです。隣人を責めるでもなく、ひたすら自己のみじめさをさらけ出します。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第30主日:イスラエルでは、神を愛することがなぜ掟だったのか

日本的な言い方をしますと、神さまは、イスラエル人の「恩人」でした。いわゆる、神に「義理」があるのです。その限り、どんな方よりも、優先しなければならない存在者なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第30主日:わたしの存在は自分の力ではなく神の恩恵による

神をたいせつにする根拠は、神から受けた「恩義」。イスラエルではファラオの奴隷であった民が、神によってエジプトから導き出されたという事歴史的事実から、神を大切にしなければいけないという結論が出ていました。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第30主日:「あなたが信じる神はどんな方?」と問われたら

年間第30主日(B年)の説教=マルコ10.46~522012年10月28日 わたしたちは毎日、たくさんの方と出会い、いろいろな出来事に遭遇し、知らず知らずのうちに、それらに感化されています。その体験が豊かな人ほど、人間性が豊かであり、平安で...
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第17主日:祈りは存在の限界を知り、神に委託する心で

年間第17主日(C年)の説教=ルカ11.1~132013年7月28日   年老いたご夫婦の姿が目に入りました。ご主人は歩き、その傍らには膝で歩いている(?)奥様がいらっしゃいました。その膝たるや血が滲んでいました。こうした光景は聖なる巡礼地...
2012年/B年説教=主との出会い

年間第17主日:今を満たすパンより永遠の命にいたる糧が大切

パンの奇跡は、「今」人の腹を満たすだけの力があるということを見せるのではなく、「永遠に」命のパンであることを人々に分かってもらいたいとのイエスさまの祈りがありました。