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Fr.YASU

2016年/C年説教=神のぬくもり

聖家族:「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。

いつでも「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。イエス、マリア、ヨセフの聖家族はわたしたち人間家族の生きるすべての見本であり、源泉です。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の公現:救いは自ら放棄しない限り無限に広く行き渡る

良し悪しの判断は神に任せましょう。わたしたちは、ただひたすらに託されている役を生きることによって、わたしの信仰を見せ、語り継いでいきたいものです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の洗礼:神と人との関係を知るためには「祈る」こと

ナザレの田舎で過ごしていたイエスさまが、30歳になって躍動し始めます。「機が熟した」のです。ルカは「祈るイエス」の姿を大事にして、ことを実現させていきます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第2主日:人の営みに神がみずから関わって下さる

水がブドー酒に変わったことは、人間の営みの次元のものが、イエスさまのかかわりによって恵みの次元にまで引きあげられるということを物語っています。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第3主日:存在そのものがメッセンジャーになれますように

重要なのは「誰が」語っているかです。誰からも尊敬され、慕われている人であれば、それだけで「メッセージ」を感じます。わたしたちもそのような存在者になっていきたいです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第4主日:イエスの故郷ナザレでの「食い違い」に何を学ぶ

故郷の人々の生き方(地縁血縁)に浸ることを拒否し「食い違い」が始まった。故郷の人々への新しい呼びかけは、すでにメシアとしての歩みが刻まれていたといえます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第5主日:「生きる原型」はプロでありながら限界を知る

ペトロ以下他の弟子たちは、漁師としてプロでした。プロはご自分の限界を知り尽くしています。漁師としては素人のイエスさまに指摘されて素直に網を打ちます。「おことばですから、・・」
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第1主日:生きる柱は神から出て、神に生かされ、神に戻る人生

神から出て、神に生かされ、神に戻る人生であるということです。これらがわたしたち一人ひとりの人生の根底にあるかどうかをわたしたちに語り掛けているようです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第2主日:日常と記念の日を、ともに大切にすることで成長したい

「日常」が得意な男性のみなさん、女性も家族も満足できるような豊かな信仰生活、社会生活をいかにリードできているでしょうか。そのリードにちゃんと乗っかって歯車が合わさっている家族の状態を日常的なものにしたいですね。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第3主日:神は忍耐深いが、甘え続けてはいけない。時を見て回心を

神は忍耐深く待ってくれる方なのです。人を救うためにご自分の独り子を派遣してくれる方なのです。しかし、神に甘え続けていることはできません。時を見て回心することです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第4主日:神は忍耐強く待っている。時がある間に回心を

神はわたしたちの救いのために働きかけてやまない、いつくしみ深い神なのです。だから、時のあるうちに回心しましょう。神からわたしたちを拒否することはありません。神のいつくしみを信じ、神の愛にしっかりとつながっていましょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

四旬節第5主日:イエスと出会って新たな一歩を踏み出す力を願いましょう

これを聞いた人は一人ひとりとその場からいなくなってしまいます。この女を裁く人は誰もいなくなりました。イエスさまは「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言われます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

受難の主日:むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け(ルカ23.28)

受難の朗読がなされます。長いルカの朗読の中で、注目してみたい言葉が、嘆き悲しむ婦人たちに向けたイエスさまの言葉です。「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くことはない。むしろ、自分と自分の子どもたちのために泣け」と。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第3主日:神の元に戻るには、ありのままの自分を直視する

ペトロのイエスさまとの問答の中に、信仰者の、教会の宣教活動の力の源があります。つまり、自分の弱さをしっかりと担い、その状態でイエスさまにゆるされている体験を経ることです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第2主日:神の怒りは一瞬だが、神のいつくしみは永遠に続く

直接にイエスさまを見ることができなくても、弟子たちの言葉を信じる人たちには、救いの喜びが、幸いがあるとの確証が与えられました。今日は「神のいつくしみの主日」です。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第4主日:神の啓示は発展し、信仰も成長していく

今日の善き牧者の話は、語り継がれてきた「メシア、救い」の中身が明らかにされる話です。つまり、父と子の交わりの中にわたしたちを招き入れること、その実現がメシアの役割であり、救いの実現であるといわれます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第5主日:隣人愛=イエスの生きざまに繋がることが救いの保証

新しい基準として、イエスさまご自身を示されます。隣人愛、兄弟姉妹愛が、その深さ、豊かさ、持続性においても、その理想とするところはイエスさまの愛し方にあるというのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第6主日:イエスが弟子たちに約束した「わたしの平和」とは

「わたしの平和」とは、何もかもなくなっても、神の手の中にあるから安心なのだ、という平和です。イエスさま流の愛を生き抜くときに、真の平和が実現するのでしょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第10主日:イエスさまの奇跡を見て、人々は神をほめたたえた

イエスさまの姿を見て、神が民を訪れてくださったことを理解し、自分たちに喜びを与えてくれる存在であることに目覚めていったのでした。
2016年/C年説教=神のぬくもり

三位一体:父と子と聖霊の交わりの輪に私たちも招かれている

私たちが三位一体の神のいわゆる「仲間」となることです。とんでもないことです、と言いたくなりますが、イエスさまの生涯は、まさにこのことのために捧げられたものだったと言えるのではないでしょうか。