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"復活節第2主日"

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

復活節第2主日:押し売りではなく、神からいただいた慈しみを、多くの人に分かち合い

トマスは格好いいことを言ったにもかかわらず、全うできずに落ち込んでしまい、次第に仲間から離れていったのですが、その後いただいている命を精一杯生かして、イエスのよき宣教者としての仕事に従事していくのです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第2主日:主の復活が「わたし」の平安、希望の要に繋がっているか

絶望のどん底に追いやられるようなことがあっても、復活したイエスを見つめること、イエスに思いを馳せることができるときに、揺らぐことのない自分を保ち、また、平安をいただくことができるでしょう。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

復活節第2主日:強いて言うなら、イエスはデジタル派かアナログ派か?

人に対するイエスの評価は、わたしたちの弱さ、いい加減さを承知の上で、一人ひとりを受け入れてくださっているということです。デジタルはわかりやすく、確かに便利です。しかし、人の評価は基本的にアナログではないでしょうか。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

復活節第2主日:信仰は、人間の常識を超えた世界(神)との出会い

復活節第2主日(B年)の説教=ヨハネ20・19~31 2021年4月11日 「『昭ちゃん、学校へ行くのは簡単だね!』。2年間学校に行けなかった小5の子どもが、初めて教室登校した日、帰園するなり私に発した言葉だった。27年前のことであるが、今...
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

復活節第2主日:「当たり前の生活に感謝する心」を普段から養い続けよう

「当たり前の生活に感謝」することは、日常が「当たり前でなくなった」から感じる強い思いです。「感謝の心」を日ごろから、大切にして生活できれば、人間関係ももっと穏やかな、安心した交わりの中で、楽しく、豊かになっていくのではないでしょうか。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

復活節第2主日:復活したイエスは、わたしたち一人ひとりを心にかける

トマの救いは、懐疑的で、絶望のどん底にある人々に、前を見て、元気に生きることができるよ、というメッセージになりました。また、わたしたちに救いを確信させる出来事であります。これは、わたしたち一人ひとりを心にかけてくれる神の業です。
2018年/B年説教=神への道標

復活節第2主日:復活は、人の感覚を超えた世界に気付かせる神の恵み

ものごとを見る視点が変わることで、本物にたどりつきます。現実の問題も同じでしょう。問題の根に気付きたいですね。人の育ちの問題はどこに根っこがあるのでしょうか。今こそ心の目を見開き、一人ひとりが新たな視点に出会っていきたいです
2017年/A年説教=神のふところ

復活節第2主日:イエスは太陽と同じく、すべての人に平安とゆるしを与える

弟子たちは復活したイエスさまから、確かな勇気と平安が与えられることを実体験しました。わたしたちの信仰の太陽は、主の「復活」です。太陽(イエスさま)そのものを見つめることはできませんが、太陽に照らされるものを見つめることはできます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

復活節第2主日:神の怒りは一瞬だが、神のいつくしみは永遠に続く

直接にイエスさまを見ることができなくても、弟子たちの言葉を信じる人たちには、救いの喜びが、幸いがあるとの確証が与えられました。今日は「神のいつくしみの主日」です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

復活節第2主日:人の常識を超えたところに発見される信仰の芽生え

トマスという人は、現代的な言い方をしますと、自分に正直な方なんではないかと思います。仲間から「主の復活」の話を聞いても、人間的な常識のなかで判断しています。
2014年/A年説教=神のたしかさ

復活節第2主日:恐れるな。わたしは死んだが、いつまでも生きている

この世で、どんなに強い人の悪意に押しつぶされそうになっても、それで終わりではないことを証明してくれたのが、今日のトマスへのご出現でした。「見ないで信じる人は幸い」の世界に生きているのが、今のわたしたちです。主よ、信仰を強めてください。
2012年/B年説教=主との出会い

復活節第2主日:イエスと私たちは竹馬の友。だから託せば良いのです。

トマに対するイエスさまの態度は、ひたすら癒しの言葉とやさしい表情を投げかけます。私たちもイエスさまから見捨てられることはないのです。ただ、わたしたちは賭ければいいのです。託せばいいのです。だって、イエスさまとは「竹馬の友(?!)」なのです。
2011年/A年説教=神のみことば

復活節第2主日:イエスは裏切った弟子たちを咎めず、「あなたがたに平安」と言われた。

イエスさまの死は、今も将来に向けてもまったく希望を抱けないほどのショックな出来事でした。ユダヤ人を恐れて戸を閉め、集まっていた弟子たちの間にご自分をお示しになり、一言おっしゃいます。「あなたがたに平安」と。