"待降節第3主日"

日曜日の聖書

待降節第3主日:ヨハネはさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げた

待降節第3主日(C年)の聖書=ルカ3・10~18 〔そのとき、群集はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

待降節第2主日:神の「つぶやき」を心の耳を澄まして、聴きとりたい

「荒れ野」は、彼らが故郷へ帰るにはあまりにも過酷な世界でした。この砂漠があること自体、彼らの心身のやる気が削がれていったのです。それでも、すべての人は神の救いを見ることができる、と声高らかにヨハネは宣言します。
日曜日の聖書

待降節第3主日:ヨハネは光について証しをするために神に遣わされた

待降節第3主日(B年)の福音=ヨハネ1・6~8,19~28 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
2018年/B年説教=神への道標

待降節第3主日: 神の前に自己開示を!神は既に恵みを注がれている

謙虚に神の前に自己を開いてみましょう。神はわたしたち自身が気づかないうちに、すでに、わたしたちに恵みを注がれています。わたしたちはそのことに目覚めるだけです。
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WordPressでのAMP対応は「Accelerated Mobile Pages」がお勧め

敷居が高いと思っていたAMP対応をワードプレス・プラグインAccelerated Mobile Pagesで割と簡単にできたので、その経過を共有したい。但し、カスタム投稿記事は別途、有料のプラグインを購入する必要があった。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

待降節第3主日:「救われるためには、どんなことでもします」と言う覚悟

それぞれの置かれた環境に応じて、やさしさ、思いやり、いたわりあいを勧めています。一言でいえば、実生活の中での隣人愛の実践、これがイエスさまと出会う最高の準備であると今日の福音は伝えています。
2015年/B年説教=イエスのこころ

待降節第3主日:一人ひとりの中にある「宗教心」にもっと目覚めましょう

「あなたの人生を一言でいうと、・・」と問われたら、何と答えますか。答えに、挑戦してみるのもいいのではないでしょうか。そこに、いつも希望と信頼を増大させ、後世への「あかし」としていきましょう。
2016年/C年説教=神のぬくもり

待降節第3主日:隣人愛の実践。心の扉を開いてクリスマスの準備を

ヨハネは誰にでもできるごく普通なことを示します。「二枚の上着を持つ者は、持たない者に分け与えなさい。」生きる場で、神のいつくしみを背景に、隣人へのやさしさ、思いやりを実践しなさい、というわけです。
日曜日の聖書

待降節第3主日:死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。

待降節第3主日(A年)の福音=マタイ11・2~11 ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
2017年/A年説教=神のふところ

待降節第3主日:主の訪れ(キリスト誕生)は、何事にも代えがたい究極の「喜び」です

「主にあってよろこべ」とは、その喜びは絶えることがないからパウロは叫び続けるのです。神の訪れをまことの喜びにできていますか。共に、そう叫び続けられるようでありたいですね。
2011年/A年説教=神のみことば

待降節第3主日:神の訪れを心底喜べる人は自分の無力さ、貧しさを知る人

「主においてよろこべ」と、パウロは呼びかけます。病人が医者にわが身を任せきる度合いによって、よろこびに強弱があるように、神の訪れを心底よろこべる人は、自分の無力さ、貧しさを知る人であるといえます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

待降節第3主日:子どもの頃「よろこびの主日」と言われていました

今日のみことばは、ヨハネを通して真の喜びへの神からの招きです。「よろこびおどれ」というパウロの叫びも、イエスさまの癒しも、人間のもろさの中で、人間をみたしてくれる唯一の神の支えです。
2012年/B年説教=主との出会い

待降節第3主日:あなたがたの中に、あなたがたの知らない人が立っている

ヨハネが叫んでいるのは、人々の中に神の姿が消えかけていることを察して、わたしたちに一人ひとりに向かって呼びかけているのです。現代の砂漠に潤いを与えていただきましょう。