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"年間第15主日"

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第15主日:イエスに呼ばれた者の役割⇒神のことば、思いを人々に伝える

現在のわたしたちも弟子たちと同じく、イエスに呼び寄せられ、養成され、そして遣わされています。時代による変化があるにしても基本的な役割、任務は「神のことば、思い」を多くの人に伝えることです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第15主日:かけがえのない宝を得るために⇒み言葉の前で素直に

イエスは無駄になるかもしれない相手であっても、語るのをやめなかった。それはなぜか?み言葉が豊かで強い生命力を持っているからです。わたしたちの心もイエスの言葉、福音が育つ土壌として、ますます肥沃になっていきますように!
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第15主日:頭では理解しながらも、実践しない信仰者への警鐘

今日の福音書は「善きサマリア人」の話。「わたしの隣人とは誰ですか」という問いに対するイエスの答えは「では、行って、あなたも同じようにしなさい」。人は情報を取得し知り得ても、そこにあるメッセージに気づかない限り、成長しません。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

年間第15主日:イエスが弟子たちを2人一組で派遣したワケを探りたい

一人ひとりが持っている個性を自らが十分知ったうえで、「百人百様」の聞き手に、「百人百様」のみことばの奉仕者に。「私は私、人は人」ですが、これらが複数形「わたしたち」になることが、目指す宣教者の姿なのでは・・・。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第15主日:諦めてはいけない!と叱咤激励するイエスの心を感じたい

「たとえ話」では種そのものの運命に焦点が当てられていますが、解釈の個所では、種をまかれた人間のがわの運命に焦点が移されています。「天の国の秘密を悟ることがゆるされていない」人たちへの宣教を、諦めてはいけないと叱咤激励するイエスの心を感じ取ることができればと思います。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第15主日:父なる神に声をかけられている。同じようにしなさい

普段に生きていくこと、この積み重ねの過程で、神のみ旨は実現されていきます。一人ひとりの「見えない力」もまた、その都度、新たに強められ、高められていくのです。誰もが呼ばれ、声かけられているのです。
2018年/B年説教=神への道標

年間第15主日:宣教するとは、イエスの生き方を示し、語り継ぐこと

今日の福音から言えることは、「宣教する」とは「イエスさまご自身を伝えること、語ること」であり、イデオロギー、主義を語り継ぐことではない。イエスさまのそばにいることは、宣教のための最強の教育であったということができます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第15主日:私たちの信仰は「人の常識」を超えたところに芽生え育つ

どんなに高貴なもの、優れたものであっても、そのものの使い道、生かし方を知らないとすれば、宝の持ち腐れです。種まきの話では、種そのものは素晴らしい生命力を持っていても、まかれた場所がそれに見合う土地でなければ実らないのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第15主日:お互いが安心でき、やすらぎを得られる関わりを広げたい

日頃は人を感動させる言葉を発していても、愛情がこもっていないと、その感動は打ち上げ花火で終わってしまいます。水の波紋のように広く、あざやかに繋がっていかないのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること

「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第15主日:イエスさまの福音が実るか無駄になるかは「わたし」次第

仮に、イエスさまのことばが、教えが無駄になったとしても、語ることを決してやめないのが、救い主・イエスさまの姿です。むしろ、止めることができないのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第15主日:自分の方から隣人に近づいていくことこそ大事

お互いが「隣人になっていく」ことに、敵も見方も無いよと、今日のイエスさまはおっしゃいます。半死半生の人の隣人になった人が、当時、敵視されていたサマリア人であったことはこのことを指し示しています。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第15主日:窮地で「神がどうにかしてくれる」確信を持つ

大事なことは、窮地に立たったとき、「神がどうにかしてくださる」という確信があるか。「満足度」をそこに感じるか。日頃からの訓練が必要です。信仰も鍛錬されなければいけないのです。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第15主日:種は蒔かれた場所によって育ち方が大きく変わる

イエスさま時代のパレスティナでは耕さずにまず種を蒔いていたので、種自体はみな等しい生命力を持っていたはずですが、蒔かれた土地によって生育に大きな違いが出てきます。
アキラさんの絵手紙

イエスは十二人を二人づつ組にして遣わされた—アキラさんの絵手紙2018

Sunday Liturgy 2018年7月15日 年間第15主日 イエスは十二人を呼び寄せ二人づつ組にして遣わすことにされた (マルコ6・7)