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年間第31主日:神は一人ひとりを愛している。だから、互いを大切にする

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年間第31主日(B年)の説教

2021年(B年)説教の年間テーマ=「新しい いのちの輝き」

年間第31主日(B年)の聖書=マルコ12・28b~34

2021年10月31日

日常化した姉の「車送迎依頼」に不満募る

「近所に住む私の40代の姉はペーパードライバーで、私のことをタクシー運転手のように、何かと送り迎えをお願いしてきます」。ご自分のお姉さんの願いに、ストレスが募ってしょうがないと訴える40代の女性がいます。(南日本新聞2021年10月24日朝刊)

「相談者さんはきっと優しいのですね。そのやさしさがお姉さんを甘えさせてしまったのかもしれません。それなりの時間をその関係で過ごしたことが、ストレスになっているのだと思います。そろそろ『姉さんの都合のいい人ではない』と主張してよいです。・・・大事なことは送ることが当たり前じゃないということ。どんな親しい関係でも相手を慮ることです。なので今回はしっかり伝えること。・・お姉さまの好きなところも同時に記しましょう。お姉さまも相談者さんも独り立ちしたらお互い支え合えるはずです。かけがえのない姉妹ですから」とアドバイスを送るのは落語家の林家彦いち師匠です。

互いに、相手を大切にしよう!という配慮を

言うまでもなく、わたしたちは誰かとのかかわりを持ちながら、さらに、それを深めつつ日々を生き抜いています。何も大げさに考えるまでもなく、みなに共通する生き方ではないでしょうか。それも、身内となると、何の抵抗感もなくかかわりが出来上がり、深まり、お互いのために役立つ助け合えるかかわりへと発展していきます。わたしたち一人ひとりがいつも体験している現実です。

一方で、先の相談内容についても、これまたあり得る問題です。姉妹という関係で、大きな遠慮も必要なく、多少の無理もかなえてもらえるかなという甘えも生じてきやすいです。でも、基本的にはお互いを「大切にしなくては」という思いは、意識されていないところであるのは確かでしょう。特に、相談者の妹さんには。だから「無理してでも・・」との思いが強く表に出てしまうのでしょう。その状態が「それなりの時間」を経過することによって、ストレスと化していったのではないかと感じます。

イエスへの律法学者の質問、どの掟が第一か

「一人の律法学者が進み出、尋ねた。『あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか』」。今日の福音書の始まりの言葉です。律法学者は、律法の研究を専門としている人々で、当時の人々の宗教的な指導者でした。彼らは掟をどのように考えていたのでしょうか。

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確かにモーセの律法を基にしていることは確かでしょうが、「先祖からの言い伝え」といわれる細かい項目にわたる戒めをつくり上げ、それを実行するように人々に指導していたのです。とても熱心な人々でした。しかし、熱心が度を過ぎてしまいますと、本物を見失い、枝葉末節的なことにこだわってしまいます。つまり、掟を守りさえすればよい、という表面的な実行に終わり、その中にあるものを見失っていったのです。その結果、人々に無用なストレス、過酷な実践を強要していたのでした。

きょう福音書に登場の律法学者は、見失ったものを見出そうとしてイエスのもとを訪ねたのでしょう。彼は、そもそもの掟の原点はどこなのかに立ち戻ろうとしたのです。そして、イエスに尋ねたのでした。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と。

答:神を愛し隣人を自分のように愛すること

これに対するイエスの答えは、「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない」というものでした。

第一の掟と第二の掟に共通するもの、それは「愛」です。愛至上主義なのです。愛にはいろいろな形があります。夫婦愛、恋愛、兄弟愛、親子の愛などです。愛のあり方、その表現にはそれぞれに特徴があるでしょう。が、「お互いを大切にする心」はいつも働いているのではないでしょうか。また、国、文化、民族が違っていたとしても、そして、それぞれの愛のあり方、表現が違っていても、「お互いを大切にする心」は、すべての人に等しく、同じくあるでしょう。

どうしてここまで「愛」が、「お互いを大切にする心」が大事にされるのでしょうか。それは、先ずはなんといっても人間が他のどんなことよりも価値があるからです。つまり、どんなにすばらしい仕事や学問、芸術よりも人間そのものの方が大事ですし、素晴らしいからです。「一人のいのちは地球より重い」のです。

一人ひとりの人間は「神のかたどり」だから

また、もっと重要なのは、一人ひとりの人間の中には神のかたどり、その姿が込められているからです。人はみな、一人ひとり神から大切にされています。だから当然のこと、お互いを大切にするのではないですか。わたしたちも、自分が尊敬する人が袖にされると嫌な思いになりますよね。

そして、わたしたち一人ひとりの存在は、他者のためです。一人では生きていけないし、ともに支え合うことによってさらに人間らしく希望に満ちたものになります。より元気が出ます。

人が人らしく生きていけるとき、何らストレスも感じないで無駄に背負い込むものもなくなります。この状態が一番望ましい姿でしょう。

したがって、本来の「わたし」の姿を維持しながら(独り立ちする)のかかわりを続ける時、「姉さんの都合のいい人ではない」というセリフも不要なものになっていきます。心底から助け合う姉妹になっていけるのではないでしょうか。

今日の律法の専門家も、「お互いを大切にする」掟に目覚めるとき、本来の任務に邁進できます。

また、人間一人ひとりにとっては、大切にしあう時間をお互い過ごすことによって,「わたしたち」の家族、共同体になっていけます。

 

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