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年間第14主日:知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者に示した

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年間第14主日(A年)の聖書

年間第14主日(A年)の聖書

年間第14主日(A年)の聖書=マタイ11・25~30

2023年7月9日

そのとき、イエスはこう言われた。

11・25「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。

26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。

28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。

30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 聖書本文は 日本聖書協会の「新共同訳聖書」から引用しています。
日曜日の聖書は、日曜日の説教とともに毎週木曜日の夕方に更新されます。
カトリック教会では日曜日のことを主日(しゅじつ)と言います。

日曜日の説教もどうぞ!
日曜日(主日)の聖書に続いて、YASUさんの説教(メッセージ)はいかがでしょうか!
YASUさんはカトリックの神父さんです。

2023年7月9日の説教

年間第14主日:「幼子のような者」に示される神の隠し事、それは…
「知恵ある者や賢い者」は、自分の力で救いに達しようとしますので、イエスが示そうとする天の国の福音を受け入れようとしないのです。それに比べ「幼子のような者」は、神に信頼するしか道がありません。

2020年7月5日の説教

年間第14主日:全ての人を思うイエスの心を希望ある日常生活の原点に
新型コロナウイルスで、世界中の人たちの日常生活が全く変えられてしまっています。これはもっと他者を意識し、大切に思い、お互いが支えられていることにもっと気づきなさい!と言うメッセージのような気がしませんか?

2017年7月9日の説教

年間第14主日:イエスはいつもほほ笑みとともに、私たちを招いている
人は愛する人が現れたとき、相手を喜ばせようと夢中になります。労苦を厭いません。しかし、どうしても、「わたし」の限界がついてまわります。最終的には、わたしたちは他者の労苦、重荷に対して無力であると言わざるを得ません。イエスさまのように「わたしのもとにいらっしゃい」なんて、言うことはできないのです。

2014年7月6日の説教

年間第14主日:愛する人のためには、その人の苦労を引き受ける
わたしたちは、一人ひとりがイエスさまの愛の対象とされ、重荷、労苦を解決する力を、イエスさまは持っているということへの招きでしょう。

2011年7月3日の説教

年間第14主日:神から無限に「愛されているわたし」の自覚を
イエスさまとおん父との関係が、すべての人に対する自己開示の力と勇気をいただく根拠があります。神の無限の「招待」に対する返事を、これからの生き方の中で見せていきましょう。

第一朗読と第二朗読を下の方に掲載しましたので、続けてお読みくだされば嬉しいです。実は、カトリック教会の主日(日曜日のこと)のミサでは第一朗読、第二朗読に続いて、三番目に上記の聖書(福音書)が朗読されます。

【注】第一朗読は復活節を除き、旧約聖書が朗読されます。因みに、復活節は新約聖書の使徒言行録が朗読されます。また、第二朗読では、新約聖書の中の使徒書と呼ばれる聖書が朗読されます。

第一朗読>>ゼカリヤの預言

(ゼカリヤ9・9~10)

〔主は言われる。〕
娘シオンよ、大いに踊れ。
娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
見よ、あなたの王が来る。
彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。
戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。
彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。

第二朗読>>使徒パウロのローマの教会への手紙

(ローマ8・9、11~13)

〔みなさん、〕神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。

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yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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