三位一体(A年)の説教=ヨハネ3・16~18
2017年6月11日
他者が知らない出来事を、いわば、秘密ごとに関して自分だけが知っている、ということに、以外に得意顔になることがあるのではないでしょうか。
誰にでも他人に知られたくない「秘密」がある
誰にでも、他人に知られたくないものを持っているものでしょう。それがいいことであればあるだけ、「秘密」にしておいた方がいいように思います。得てして、自分の自慢話になってしまいそうですから、・・・。とは言いましても、秘密を公にすることで誰かが救われる、楽になることであれば、公言した方がいいように思います。
大阪教育大付属池田小学校の児童殺傷事件から8日で16年過ぎたそうです。自分のお子さんを失った親御さんたちが、新たな居場所を見つけようとしている記事が掲載されています。(讀賣新聞大阪本社、2017年6月8日朝刊)
それによりますと、一人で家にいると悲しみにおし潰されそうになり、仕事に出られたお母さんがいれば、長年のお友だち付き合いの縁で声を掛けていただいて、新たな仕事に就かれたお母さんもいます。
苦しい胸の内は、だれかに相談できれば楽になる
「あなたがお母さんさんだったのね」ご自分の娘さん(7歳)を亡くされた一人のお母さんが、この4月に働き始めた老人ホームで、ある方と再会されたそうです。寝たきりのお年寄りを見ていると、事件後、病院で対面した自分の娘さんを思い出して、働くのが辛くなったので、その方に胸の内を相談なさったのだそうです。その時の言葉が、先の言葉でした。その方は、老人ホームのマネジャーをなさっているのです。事件当時は、娘さんが搬送された市立池田病院の看護師だったそうです。
事件から16年過ぎても、家にいると娘さんのことを考え込んで、ビデオテープに残る映像も、胸が苦しくて最後まで見ることができないということです。マネジャーさんの提案で配置転換していただき、レクリエーション担当になりました。ゲーム等で入所者に笑顔が出ると、そのお母さんも元気をいただくようです。さらに、マネジャーさんの言葉が支えとなって、今の生きる力ともなっているようです。「お嬢さんは助けられなかったけど、あなたが生きる後押しはしたい」と。
相談を受ける側の自己開示で安心を与えることも
そのマネジャーさんにとって、「看護師であった」ということは何も秘密事ではありませんが、被害者のお母さんにしてみますと、同じ気持ちを共有できる人が、自分の身近にいるということは、大きな支えと安堵感を与えてくれるのではないでしょうか。「自己開示」をするということが、相手が喜ぶこと、安心することであれば、大いに勧められることではないかと思うのです。元看護師さんとの会話は、双方にとって、元気の出る話であったと思います。
人は行き詰まると救いを求める。だから宗教がある
わたしたち人間は、いつも、特に、行き詰ってしまいますと、そこからの救いを期待してしまいます。それって普通のことでしょう。究極的な安住の場をどうしても求めてしまうのです。これもまた、弱い人間として誰もがとる姿ではないんでしょうか。だから、宗教があるんです。信仰が大事になってくるのでしょう。
今日の主日は、三位一体の神の祝日です。これは、キリスト教だけが示している神の姿です。他の宗教に、どんな素晴らしい教えがあっても、三位一体の神の奥義を見出すことはできません。
今日の主日では、神の方からわたしたちに、ご自身の心の中を開示されるのです。ご自身のうちに隠されている真理なのです。神はモーセに宣言します。「主とは、あわれみ深く、恵みに富み、怒ること遅く、慈しみとまことにあふれる神である。千代にいつくしみを及ぼし、悪と背きと罪をゆるす」と。人が自ら神との間で断絶を図ろうとしても、壁をつくろうとしても、飛び越えて、わたしたちを変えてくださろうとする愛の豊かさを持っていらっしゃるのです。
神はご自分の内面の「秘密」を人間に啓示された
この真理は、弱いわたしたちにとって、とりもなおさず大きな安らぎとなっています。いつも希望を抱き続けることができるのです。だからこそ、神はご自分の内面の「秘密」をわたしたちに啓示なさったのです。今もなお、いろいろな形で啓示は続けられています。イエスさまもおっしゃるのではないでしょうか。
「あなたが今を生きる後押しはしてあげるよ。だから任せなさい」と。
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