主の昇天(B年)の説教=マルコ16.15~20
2015年5月17日
わたしたちの生活環境が便利になり、快適になっていくことに、あえて反対する人はいないでしょう。しかし、人間の欲求が極度なレベルになっていきますと、かえって不便さを感じてしまうことがあります。また、ある種の弊害をなくすためにとった施策が、他の弊害を引き起こすこともよくある話です。
国の「規制改革会議」が、薬局のかかりつけ機能の強化とともに、病院敷地内での薬局開設を認めていない「医薬分業」の見直しを求める答申を、来月、安倍首相に提出するという報道がありました。
病院の前に「門前薬局」が並ぶ状況から、「病院内にあればもっと便利」「高齢者や車いすの患者が薬局に行くために道路を渡ることを強いられるルールに意味があるのか」などの意見が出されていたことを受けての提出だそうです(2015年5月11日読売新聞朝刊・西部版)。
厚労省は難色を示しているといわれますが、「医薬分業」の設置はなにかの弊害をなくすためになされたものではないでしょうか。その結果が逆に不便、面倒くささを引き起こしてしまっています。
大事なことは、禁止句を並べまくるのではなく、また、前向きな動きに「待った」をかけるのではなく、能動的な肯定的な「発想・感性」を持ち続けることではないでしょうか。一つがなくなれば、新たな一つを生み出していくような力を大事にしたいですね。
今日は主の昇天の祝日です。
この祝日は実に前向きなメッセージを、今日わたしたちに残してくれます。イエスさまが弟子たちの前から姿を消されるのです。「見えなくなる」のです。そして、不信仰者であった弟子たちは不安に駆られ、暗闇の底に追いやられてしまったのでした。
イエスさまは弟子たちの不信仰をお咎めになりながらも、「全世界に行き、すべての者に福音を宣べ伝えなさい」とお命じになります。不利な条件、不都合なことがあっても、「前を向きなさい」と励まされるのです。 これからは、イエスさまではなく、第一朗読で読まれるように「聖霊」が派遣され、弟子たちを導かれます。主は弟子たちとともに働いてくださるのです。今でもそれは続いているのです。
したがって、わたしたちは「イエス」を伝えるのであって、人間的な信念やイデオロギーを伝えるのではないのです。そして、多くの人をイエスさまとの出会いに招くのです。道案内役をかって出るのです。
表現がよくないかもしれませんが、「イエス」さまから「聖霊」へのバトンタッチが実現するのが、今日の祝日です。聖霊は静かに、密かにわたしたちに働き続けています。いつまでも。だから、外に向かって勇気をもって、元気に旅立つのです。
コメント