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待降節第3主日:一人ひとりの中にある「宗教心」にもっと目覚めましょう

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待降節第3主日(B年)の説教=ヨハネ1.6~8,19~28

2014年12月14日

message-eyecatch2今年も最後の月、12月(師走)を迎え、中旬を過ごしています。同時に、この一年間、話題になった言葉に贈られる「新語・流行語大賞」が気になる時節でもあります。先日、その発表がありました。それによりますと「2014ユーキャン新語・流行語大賞」は「ダメよ~ダメダメ」と「集団的自衛権」が選ばれたようです。

この選定にはどのような方々が関わっておられるのかわかりませんが、かなりのプレッシャーをお感じになっての選定ではないかと思ってしまいます。選ばれた言葉によって、一人ひとりがその時代をイメージしてしまうからです。

一つの言葉の表現によって、それにまつわるたくさんの出来事が思い出されます。言葉、表現はその時代の内容のすべてを包含し、生きているということでしょう。

今日の福音にも重要な言葉がおかれています。「荒れ野」「あかし」「叫ぶ声」などがそれです。これは何を意味しているのかと読み込んでいきますと、洗礼者ヨハネは「誰なのか」ということです。

「荒れ野」は、夜は冷え、昼間は直射日光の下で、人も生物も耐えることのできないほどの熱さに苦しめられます。いわゆる、砂漠は不毛の地で、温かく包み込んでくれるものが一切はぎとられている世界です。

旧約聖書の世界では、神の道を生きようとする人たちの試練の場であったということです。洗礼者ヨハネもこうした類の一人であったということを意味します。その生き方そのものが「あかし」であり、神の思いを「叫ぶ声」であったということができます。

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「あなたの人生を一言でいうと、・・」と問われたら、何と答えますか。簡単に一言では表現できないでしょうが、できるとすれば、それは重い、厚い言葉になることでしょう。その音もずっしりと腹の底まで響きそうな重量感がありそうです。また、その人生が、表面的には華やかで、快適な生活を送っていても、神を見失った心は、不毛な「荒れ野」といえないでしょうか。

現代において、言葉に「威力」を持っている人の一人にローマ教皇がいます。「広島、長崎から何も学んでいない」と、核の脅威を嘆いているとのことです。世界で戦争が続く現状を「第三次世界大戦といえる」と指摘し、背景には「拝金主義システムを維持しようとする政治・経済的な問題がある」とし、厳しく戒めています(南日本新聞2014年12月2日朝刊)。

わたしたち一人ひとりの中にある「宗教心」にもっと目覚めましょう。そして、自分を一言でいえば何といええるか、挑戦してみるのもいいのではないでしょうか。そこに、いつも希望と信頼を増大させ、後世への「あかし」としていきましょう。

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