『四旬節第4主日』の聖書と説教はこちら

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日曜日の聖書

四旬節第4主日:お前のあの弟は生き返ったのだ。祝宴を開くのは当前だ

四旬節第4主日(C年)の聖書=ルカ15・1~3、11~32 〔そのとき、〕徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。
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四旬節第3主日:あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる

四旬節第3主日(C年)の聖書=ルカ13.1~9 ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ビラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。
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四旬節第2主日:「これはわたしの子、これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた

四旬節第2主日(C年)の聖書=ルカ9・28b~36 〔そのとき、〕イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。
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四旬節第1主日:イエスは荒れ野で四十日間、悪魔から誘惑を受けられた

四旬節第1主日(C年)の聖書=ルカ4・1~13 〔そのとき、〕 イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を″霊″によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。
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年間第8主日:あなたは、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか

年間第8主日(C年)の聖書=ルカ6・39~452025年3月2日6・39そのとき、イエスは弟子たちに、たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。40弟子は師にまさるものではない。しかし、だ...
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主の奉献:両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った

主の奉献(A年)の聖書=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はイエスを主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
2025年/C年の説教=わたしのすべてを知っておられる神

主の洗礼:「わたし」の受洗の覚悟は何、それは今どこに、・・・

きょうはイエスの受洗記念の祝日です。受洗する必要はイエスにはないのですが、あえて民衆の中に入っていかれます。救いへの道を民衆とともに歩むためです。「民衆はメシアを待ち望んでいて・・・」で始まるきょうの福音。
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聖家族:イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された

聖家族(C年)の聖書=ルカ2・41~52 イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムヘ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
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主の降誕【クリスマス】今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった

主の降誕の福音=ルカ2・1~14 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニゥスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第33主日:そのとき、選り分けられて「あなたがた」と呼ばれるために

「人々」から「あなたがた」を分けるものは、はたして何なのでしょう。わたしたちは、一人ひとり、それに答えることができているからこそ、今があるのです。  終わりに、人の子から「あなたがた」と呼ばれるために、・・。
2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

年間第21主日:「つぶやき」が嘆き節ではなく、さわやかな祈りになるように!

自らの辛さ、苦しみ、やるせなさがどうしても気になり、周りに、ましてや神に、イエスに、目と心を向けることがおろそかになってはいないでしょうか。むしろ、そんな時こそ神にすべてを向ける、もってこいの「時」なのではないかと、・・。
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復活の主日/イースター:マグダラのマリアは墓から石が取りのけてあるのを見た

復活の主日の福音=ヨハネ20・1~9 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。
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受難の主日:イエスは大声を出して息を引き取った。すると、神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた

受難の主日/枝の主日(B年)の聖書=マルコ15・1~39 受難の朗読は長いので、ミサでは3人で分担して行われます。
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四旬節第4主日:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された

四旬節第4主日(B年)の聖書=ヨハネ3・14~21 〔そのとき、イエスはニコデモに言われた。〕 「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
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四旬節第3主日:イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っていた

四旬節第3主日(B年)の聖書=ヨハネ2・13~25 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。
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四旬節第2主日:雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

四旬節第2主日(B年)の聖書=マルコ9・2~10 〔そのとき、〕イエスは、ただベトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
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四旬節第4主日:目が見えないのは罪のせいではない。神の業がこの人に現れるためである

四旬節第4主日(A年)の福音=ヨハネ9・1~41 〔そのとき、〕イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。
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四旬節第1主日:「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」

四旬節第1主日(B年)の聖書=マルコ1・12~15 そのとき、”霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
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年間第4主日:イエスの言動には権威があり、汚れた霊を退ける力があった

年間第4主日(B年)の聖書=マルコ1・21~28 イエスは、安息日にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
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聖家族:幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた

聖家族(B年)の福音=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 《それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。