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Fr.YASU

2014年/A年説教=神のたしかさ

十字架称賛:人類にとって、十字架が「神の力」でありますように!

十字架は、死と地獄に打ち勝たれた主キリストの旗じるしとなり、人びとに永遠の幸福と罪のゆるしをもたらすものとなったのです。全く新しい意味が加えられ、今ではキリスト教の称賛すべきシンボルとなっています。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第24主日:教会共同体は、みなが喜ぶ集いになっているでしょうか?

救いに条件があるとすれば、集められたわたしたちが、一緒に喜ぶ「つもり」があるんですか、ということです。今の教会共同体がみな、「一緒によろこんでいる集い」になっているかどうかです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第24主日:イエスはユダヤ人のこの世的メシア像を砕いた

ユダヤ人のメシア像は、ローマの支配から人々を解放し、自由と独立を与える存在。イエスは「あなたは神のことではなく、人間の思いにしたがっている」と、彼らのメシア像を砕いてしまいます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第24主日:信仰生活と日常生活に遊離はない。日常の行いが大事

今日の福音が強調しているのは「ゆるす」ということです。わたしたちの日々の生活は、このゆるしを前提に織りなされているといっても過言ではありません。それだけに大切な日常の心がまえとなります。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第23主日:イエスさまは生きる最高の価値を「神」に置く

現代でも、有名人になれば一目見たいという好奇心がわいてくるものです。この「好奇心」の陰に横たわっていた人々の現世的利益と幸福を願う思いを、イエスさまは徹底的に崩してしまおうとされたのでしょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第23主日:救われるためには、罪は罪として本人が自覚すること

助けを求めている人が近くにいるなら、臆することなく振り向いて共鳴し、その人に何らプラスの変化が起きなかったとしても、勇気を失わずに希望を強くして祈り、手を差し伸べることをやめないことです、と今日のイエスさまは叫んでいます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第23主日:過ちを犯す人にできる限りの手助けをしなさい

一人たりとも滅びの道を歩むことは神の望みではないのです。救うことが神の意向であり、イエスさまの道なのです。周囲の人にもいさめにいくことを求めます。あきらめることなく、さらに働きかけていくべきでしょう。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第23主日:奇跡には豊かなメッセージが含まれている

その見えるしるしが「足の不自由な人が鹿のように跳ねあがった」喜びであると思います。闇に沈む人々に躍動を与えるイエスさまの姿が奇跡のしるしの裏に隠されています。本物を見つめましょう。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第22主日:イエスのペトロに対する叱咤は、愛における価値観の違い

天の父の思いを受け入れて「あなたはメシアです」と告白したペトロは祝福してもらいましたが、人の思いに捕らわれたペトロは「サタン」呼ばわりされます。似た体験は「人間の世界」でもあります。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第22主日:人が協力しあうとき必ず誰彼の自己否定を伴う

愛の生き方には必ず苦しみが伴うということです。それをその生き様で示したのが、イエスさまの歩む道だったのです。それが十字架(神の思い)の道でした。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第22主日:形に囚われすぎるな!内からの清めと癒しを

イエスさまが今日指摘なさるのは、「形があれば十分であるというような錯覚にとりつかれないように」ということです。そうしたことにこだわっていた当時の宗教上の指導者たちを手厳しくおとがめになります。狭い心になっていきやすいからです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第22主日:「生かされている」という謙虚さが平和をもたらす

外見上の見栄ではなく、「自分」がよってもって立っている根拠(神の無償の愛)に気付けばそれだけ、「わたしらしく」それだけ「謙虚に」なっていく自分が見えてきます。誰でも、その瞬間をだれかに生かされ続けていくのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第21主日:「狭い戸口から入るように!」は鍛錬の勧めです

イエスさまとつながっている限り、その業は具体的であり、大きな助けとなっていきます。この確信を深めたいですね。「狭い戸口」は特別困難な入り口ではなくなるのでは、・・・。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第21主日:信仰とは納得できなくても己を委ねきる神への信頼

ペトロは「主よ、だれのところにいきましょう。あなたは永遠の命のことば・・・」と。日常同じような人との付き合いをわたしたちは実践しています。神さまとなるとなぜかぎこちなくなります。なぜ?
2012年/B年説教=主との出会い

年間第20主日:「一つになる」ためには自分から合わせる姿勢が必要

「わたしの肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちにいのちはない」(54節)聖体拝領には、イエスさまの十字架、あがないをよく知り、しっかりと受けとめることが求められます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第13主日:祈りは自己をさらけ出して、膝まづくことから

ヤイロは会堂の司ですから普段は指導者的な活動をしてきたのでしょうが、今日は違います。大事なものへの優先順位があります。地位よりも娘への愛です。命へのこだわりです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第13主日:イエスが弟子たちに要求した「覚悟」とは?

イエスさまのことばに、ご自分の使命への厳粛さとやり遂げようとしているイエスさまの強い思いを感じます。「手をすきにつけてから、後ろを振り返る者は、神の国にふさわしくない」と。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第13主日:苦境の中で謙虚になる時、目覚めさせてもらえる

イエスは「恐れるな、ただ信じよ」と言われます。行き詰まって、思うようにならない状態であると分かると、人は「祈り」ます。愚痴を祈りとしてささげましょう。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

年間第12主日:社会の喧騒から抜け出し、心の燃料補給をしっかりと

バランスのとれた活動と祈り(休憩)こそが、使徒としての、キリストの弟子としての生きざまといえます。いわば「動と静」のバランスです。それにプラス、自己奉献といいますか、自己放棄の心が加わるようにとイエスさまは望まれます。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第11主日:人知れず寄り添い働きかける神に委ねる

「人知れず」神はわたしたちに寄り添い、支え、導いてくださるのです。その神に、あなたは委ねることができますか?返事に躊躇している間も、神は働きかけて下さっています。