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Fr.YASU

2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第12主日:不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう

わたしたちは不安を感じると心拍数が多くなり普通でいられなくなります。だからこそ、日々の訓練は大事です。不安を体験をするたびに、イエスさまに戻りましょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること

「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第16主日:大事なことは、神の「お蔭」を感じているか否かです

ひとが「有頂天」になるのは、物事の成功の力を自分の力に帰すからでしょう。自分の功績にしたくなるからです。成功が続けば、人は本当の「自分」を見失いがちになるものです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第17主日:群衆はイエスさまの「ある不思議な何か」を求めています

イエスさまにとって、今日の福音の奇跡は、「しるし」でした。パンをあきるほど食べさせてくれる王ではなく、「永遠のいのちのパン(糧)」であることを示すためのものだったのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第18主日:「わたしが命のパンである」=ご聖体の信仰の中心です

わたしたちはご聖体に生かされているのです。わたしたちの日常は、信仰者として道徳を実践することだけにあるのではなく、ご聖体を大事にする心をいつも認識しておく必要があります。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第19主日:常識の世界にとどまり続けると、信じることは難しい

イエスさまは、決して強制的に引き寄せることはなさいません。イエスさまの話は「むずかしい」だけで終わるのではなく、自分はどうありたいのかを熟考するに値する時です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第20主日:わたしたちのご聖体に対するイメージはどんなもの?

「イエスの肉を食べる」「血を飲む」という表現の中には、わたしたちの救いのために十字架上で殺されるという神秘が前提されています。ご聖体を拝領する時に、この神秘を受けとめ、「わたし」をそれに重ねていく決意が求められてきます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第21主日:神を信じて生きると、人はもっと豊かに魅力的になる

「信じる」ということは、まさに、その人に向かうことであり、その人を見つめ、その人にゆだねることなのです。論理的にわかりにくいことがあっても、その人を信じているがゆえに受け入れていくことができます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第22主日:恵みは外見にではなく、人の変わらない内の姿に注がれる

イエスさまは言われます。「あなたがたは神の掟をなおざりにし、人の言い伝えを固く守っている」と。そういうかたわらで、イエスさまの弟子たちが手を洗わないで食事するのを見て、つまずくのです。そして、今の社会でも、教会の中に「変な人」がいるのに驚き、つまずくのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第23主日:イエスさまは神の国を運んでいる方というメッセージ

見えない目が開き、聞こえない耳が聞こえるようになる、こういった体の癒しは、その人にとって人生の生き方に大きく影響してきます。そこからもわかるように、身体の癒しは、深い内面の癒しでもあるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第24主日:あなたはイエスさまが気になっていますか!?

わたしたちにとって、いい人としての「気になる人」については、もっと正確に知りたくなるものではないでしょうか。「悪い人として」気になる人って、はたしているのでしょうか。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第25主日:未熟さ、弱さを認める勇気が弟子たちの将来を変えた

「だれが一番偉いのか」と言い争う弟子たち。自分が人より優れているという慢心が弟子たちの心に息づいています。人として考えれば、誰にでもある現象でしょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第26主日:大事なことは純粋に相手の救いを願っているかどうかです

弟子たちが「特権意識」から謙虚になっていったように、わたしたちも「否定的言動」から解放されることを願いつつ、周りの人に注意を払えるようになりたいものです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第27主日:永遠の愛を誓う姿に「神の似姿」としての尊さがある

「永遠の愛」の根拠は、その死をもって愛の理想を示してくれたイエスさまにあります。誓った愛を生きようとする二人とともに、イエスさまは歩まれるのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第28主日:「あなたに欠けていることが一つある」と指摘されたら

この世の生活に執着している青年のこころを見抜いて言われたのです。「行って、持っているものをすべて貧しい人々に施しなさい」と。青年の中にある「生ぬるさ」を除きたかったのでしょう。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第29主日:他の人の幸せのために奉仕することが人の分際

「日常性」の中で、小さいことを積み上げていくことです。親は親として、子どもは子どもとして、女は女として、男は男として、背負うべきことを背負い、「今日」を生き抜くことです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第30主日:勇気を振り絞って、ありのままをイエスさまに訴えよう

今のわたしたちも、叫び続けるのです。願い続けるのです。人の非難をする前に、自分の罪をそのまま差し出すのです。いくら格好をつけようとしても、通りません。「ありのまま」がいいのです。
2015年/B年説教=イエスのこころ

諸聖人:幸いの宣言!わたしたちもその列に加えられる存在者

神が幸いにしてくださるのです。神が無条件で、わたしたちを愛し、祝福してくださっている宣言が「幸いなるかな」なのです。そして、その対象も無制限です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第32主日:やもめの献金は、神への全き委託の生き方を感じさせる

律法による権威づけはこのやもめにはありませんが、一生懸命神への道を歩んできたという事実の積み重ねが、すでに「権威」です。人から信頼と安心を勝ち取ることができます。
2015年/B年説教=イエスのこころ

年間第33主日:救われる道は神のあわれみへの謙虚な信頼、信仰

神の恵みの広さ、やさしさの深さ、人への愛の心は永遠に変わることがありません。「いと小さき者の一人でさえも滅びることを天の父は望まれない」とイエスさまは教えられました。わたしたちは、ありのままの自分を差し出すだけです。