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"年間第7主日"

2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

年間第7主日:イエスの教え、基本はどこに?それはおん父の思いを生きること

こうしたイエスの教え、生き方は、完全にわたしたちの日常の思い考え方を超えています。そこには、わたしたちにとっては最高の平和、安心があり、穏やかな環境があるのみです。それが「天国」なのでしょう。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

年間第7主日:愛すること=ゆるすこと。イエスはいつも「あなた」の背後に

「愛する」こと、それは「ゆるす」ことです。徹底して相手を大事にしようとするとき、勇気が必要になってきますが、「わたし」の背後には、いつもイエスがいてくださいます。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

年間第7主日:自分の限界を知る時、神に向かう素直な自分を見つける

悪人や罪人は、神からの恵みを無視し、自分勝手に生きている人びとです。なのに、神は、いくら無視されようとも、滅びへの道をたどっている彼らが救われるために、惜しまずご自分のひとり子・イエスを十字架に渡されたのです。彼らが気になってしょうがないのです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

年間第7主日:平和の原点は、イエスの十字架上のゆるしの祈りと業に

イエスご自身が十字架上でゆるしを祈りながら、ゆるすことのすばらしさを示し行動しつつ亡くなられたのです。わたしたち一人ひとりが、イエスに倣って変化、成長していけば、現代社会、家庭にとって、真の平和、希望が訪れる、と諭されます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第7主日:絶対的平和の基盤は、悪人にも善人にも太陽を昇らせる「おん父」の心

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)生き方が、イエスさまが大切にしていたものでした。その源泉は「おん父の心」です。イエスさまのこの生き方があるからこそ、不十分な「わたし」でも、平和実現の担い手になることができます。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第7主日:平和と秩序の基盤は権利だけでなく、天のおん父の心で

それは、悪いことだとわかっていても、手を染めてしまうわたしたちの現実をご存知の「父」だからこそ、伝わってくる内容であると思います。その極みが十字架の死に至るまでご自分を渡された独り子イエスさまです。
2012年/B年説教=主との出会い

年間第7主日:不調の時に神を求める祈りは人間の渇き、普通の姿

神はさりげなくわたしたちを引きよせてくださいます。わたしたち人間に強いることなく、わたしたちを肯定し、高めてくださいます。だから、苦しいときの神頼みも意味が出てきます。
2011年/A年説教=神のみことば

年間第7主日:自分の命も他者のために開く!そうあり続けることがキリスト者の理想では

イエスさまは、ご自分が神であることを固持しようとはせず、十字架上の死に至るまでにご自分をわたされたのです。いわゆる、権利の放棄です。しかも、生きる権利を人々の救いのために放棄なさったのです。