"主の洗礼"

日曜日の聖書

主の洗礼:イエスが洗礼を受けて祈っていると、天が開け聖霊が降った

主の洗礼(C年)の聖書=ルカ3・15~16、21~22 〔そのとき、〕民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

主の洗礼:希望と確信を持つために、イエスに倣い節目での祈りを大切に

この世で、理不尽な出来事がつづく中、それでも希望と確信をもって前に進んで行くためには、「祈る」ことが大事です。イエスがその模範を示しています。祈っているときに新しいことが始まるのです。それがわたしたちの目に見えなくても、確かなのです。
日曜日の聖書

主の洗礼:「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

主の洗礼(B年)の聖書=マルコ1.7~11 〔そのとき、洗礼者ヨハネは〕こう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。
2015年/B年説教=イエスのこころ

主の洗礼:その人にとって、その生き方が決まる人生最大の瞬間です

わたしたちの受洗はどうでしょうか。あの時は燃えていたな、活力満点だった、素直に従順だった、思い出すことがたくさんあるのではないでしょうか。「初心忘るべからず」で、原点に気づくことでしょうか。
2016年/C年説教=神のぬくもり

主の洗礼:神と人との関係を知るためには「祈る」こと

ナザレの田舎で過ごしていたイエスさまが、30歳になって躍動し始めます。「機が熟した」のです。ルカは「祈るイエス」の姿を大事にして、ことを実現させていきます。
日曜日の聖書

主の洗礼:「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

主の洗礼(A年)の福音=マタイ3・13~17 そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。
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【カトリック教会の典礼暦】2016年の復活祭は3月27日

復活祭を中心に毎年移動するカトリック教会の移動祭日についての情報と、カトリック典礼の頂点である「主の復活」の聖書やメッセージ(説教)のリンクを掲載しています。
2011年/A年説教=神のみことば

主の洗礼は、人間を救うためにへりくだる神の姿。イエスの十字架で完成する救いの始まり

イエスさまが、おん父との関係を生き抜いたように、「洗礼」によってできた神との関係を生き抜く恵みを願いましょう。信仰は外に見えないだけに、見せる工夫をしながら共同体の礎としていきたいです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

主の洗礼:イエスさまは、まさに「われわれと共におられる神」

主の洗礼の祝日が年明けの今日、祝われるということは洗礼の時の、あの神のことばを意識するいい機会をいただいたといえます。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

主の洗礼:民衆とともに洗礼を受けられたのは、イエスの思いの表われ

ルカは民衆の受洗とイエスさまの受洗を並記しています。ヒューマニストとしてのイエスさまの姿は興味ある内容ですが、大事なのはイエスさまを通してなされた神のみ業であるということです。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第3主日:イエスさまの介入により「平凡」から「非凡」になっていく

イエスさまの呼びかけにこたえる弟子たちの姿が描かれています。弟子たちは「通常」、ごく「普通」に生活をしていたのです。漁師として網の手入れをしていました。彼らにとっては普段着の姿です。