年間第23主日(B年)の説教=マルコ7.31~37
2015年9月6日
「人口減社会」のコラム記事に、「子育て世帯に留学」という見出しに目が留まりました。(讀賣新聞・西部版2015年8月30日朝刊)「仕事と子育ての両立を学生時代から意識してもらう取り組み」の一つとして実施されているようです。東京の三つの大学の8人の女学生が中心となって始まったようです。男性学生も含め、これまで80人の学生が子育て世代の家庭にボランティアで体験学習をおさめたようです。
このコラム記事を読んでわたしが思ったことは、仮にどんな些細なことでも、新たな何かに気付くしるしとなり、今までやってきたととはいえ、その中にあった、しかし、見えていなかった新たな何かを発見するきっかけとなっていくということです。
今日の福音は、奇跡を通してそこに秘められているイエスさまのメッセージを伝えようとしています。当時のユダヤ人にとってはみなが周知していた「メシア」についてのメッセージです。五感にわかる範囲のことは誰でも認識できます。その奥にある秘められた神の力に気付く人は多くはないのです。
「耳が聞こえず舌の回らない人」が癒されます。耳に聞こえるイエスさまのことば、目に見えるイエスさまの仕草は、誰にでもわかります。しかし、今日の福音書のことばで注目すべきは「エッファタ」ということばです。「開け」という意味のことばだそうです。
たしかに、見えない目が開き、聞こえない耳が聞こえるようになる、こういった体の癒しは、その人にとって人生の生き方に大きく影響してきます。そこからもわかるように、身体の癒しは、深い内面の癒しでもあるのです。心の目が、耳が正しい方向に導かれ、正しく働き、そして神の方に向かっていくのです。
今日の癒しの奇跡は、イエスさまが神の国を運んでいる方なんですよということを示すものです。イエスさまが辿った地方の人々は、イザヤによりますと、異邦人の地で、闇と死におおわれた地として捉えられています。そうした地に、イエスさまは新しい希望の光を与えられる方として来られたことを訴えています。五感にふれえない奇跡の奥のメッセージです。
「エッファタ」というイエスさまのことばによって、やみは去ります。これがメシアの働きです。一番素晴らしい奇跡はなんでしょう。身体的癒しとともに、それ以上に、人の心のあり方が変えられていくことでしょう。
癒されたこの方は、その後どのような生き方をされたのでしょう。
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