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年間第15主日:弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となること

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年間第15主日(B年)の説教=マルコ6.7~13

2015年7月12日

message-eyecatch2自然界が「異常」ならば、人間の世界もその影響を受けて(?)「異常な」事件事故が相次いでいます。どうなってしまったのでしょうか。それにしても、以前は考えられなかった出来事が、どうしてこんなに続くのでしょうか。

「油まき火つけた」と供述している父親が逮捕されました。大分県杵築市の4人の子どもたちが巻き込まれた火災事件です。それも自分のお子さんたちでした。「出火直前、一階で話をしていてかっとなり、油をまいて火をつけたとみられるという」のです。また、他の報道によりますと、「俺が悪かった」と子どもたちの名を呼びながら叫び、一階の屋根に上り救出に当たっていたといいます。だったらこんなひどいことを、・・。親がわが子を手にかける事件は、今までも報道されたことはありましたが、だんだんエスカレートしていくようです。

わたしたちにはわからない事情があることも事実です。しかし、こうした出来事は、学校の教育現場で学ぶ教科書の教材よりも、多くの子どもたちには心情が伴った、より現実的な教材にもなっていきます。つまり、日常の何気ない仕草、言動が、子どもにそのまま受け継がれていくという話は、まさにこのことを言っているのでしょう。子どもは親の背中を見て育っていきます。

こうして大人になっていきますと、それまでに培った知識、マナー等を駆使し、新たな知恵を会得していきます。同時に、自分の内面に持っているものを他者に見せていくのです。そしてお互いがより豊かになっていきます。

今日の福音の弟子たちも、イエスさまの身近にいて、共にたくさんのいろいろなことを学び、会得してきた仲間たちです。この弟子たちを派遣するにあたり、ご自分のもとに「呼び寄せて」いくつかの心がまえを示されます。

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「呼び寄せる」という表現の中には、「すべてを共有して生きていく」、言い換えれば、イエスさまに同化していくために、呼び寄せられ、弟子たちはそれについて行ったのです、と言えないでしょうか。したがって、「派遣される」ということは、イエスさまとともに生活していた中からあふれ出てくることを見せるために、語るために出ていくのです。自分を見せ、伝えるためではないのです。

そして、人々を弟子たちのもとに「呼び寄せ」て、イエスさまへと案内していくのです。その道は、その人の中に準備されているのです。言葉を換えれば、弟子たちの役割はイエスさまの「証し人」となることでした。はたして、わたしたちは、・・?

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