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復活節第6主日:真の絶対的な平和⇒神の手の中にあるという信仰からくる

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復活節第6主日(C年)の説教⇒2025/05/25

説教の年間テーマ=わたしのすべてを知っておられる神

復活節第6主日(C年)の説教=ヨハネ14・23~29

2025年5月25日

職場での男女の平等を目指す「男女雇用機会均等法」が1985年5月に成立して40年が経ちました。女性が働きやすい制度の整備は進んだかに見えますが依然、男女間の賃金格差が大きく、女性の管理職比率は低いままです。(南日本新聞2025年5月20日朝刊)

まだまだ昭和型の雇用慣行が、なお温存されていることがその背景にあると思われます。つまり、「男性は主要な業務(中心的な稼ぎ手)、女性は補助」といった分業意識や思い込みを解消し、性別を問わず能力を生かせる社会づくりを目指したいものです。

ハラスメントの問題にしましても、こうした課題を考える時に、いつも感じていることがあります。それは、昭和型の雇用慣行のすがたが残っている、女性管理職比率が上がってきているとはいっても、男女間の賃金格差は依然大きいままです、といって現状を訴え続けていますが、法体系をいくら整えても、管理職の比率が男女間で小さくなったとしても、職場での男女の平等を目指す意識改革はなかなか進む気配を見せません。すでに40年たっているのに、・・。極端に言えば、当初とあまり変わりないのではないかとさえ感じます。何かが問題なんでしょうね。

つまりは、仕事の体制が変わる、女性管理者が増えるとは言っても、はたして「わたし」個人の中では何が変わっているのでしょうか。職場の雰囲気、漂う空気を作り出すのは、法律でもなければ、女性の管理職が増えることでもないでしょう。わたしたち労働者一人ひとりです。わたしたち一人一人の「心のうち」意識が変わらない限り、企業の、職場の意識改革も進まないのではないでしょうか。要は、わたしたち一人ひとりが目覚めることです。気付くことです。

復活節第6主日:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える
復活節第6主日(C年)の聖書=ヨハネ14・23~29 「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。・・・」

人間「意識」の変革は、自らが取り組まなければいけない作業です。他人にしていただく類のものではありません。古い人を脱ぎ捨て新しい人となることです。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。」(ヨハネ14・27~28

この言葉は、イエスと弟子たちの別れを伝える場面で、イエスが弟子たちに発せられた言葉です。「去っていく」という言葉は、「死ぬ」を意味する表現として用いられますが(マルコ14章21節)ヨハネ福音書では、ほとんどの用例でイエスが御父のもとに「行く」ことを表しています。イエスの死は父のもとへ帰ることであり、闇の中に空しく消え去る滅びではありません。

イエスと共に過ごし、その教えを受け、さまざまな話を聞いて信奉者として深められた弟子たちですから、イエスが御父のもとに帰られることを聞いて喜んでいいのでしょうが、現実には、彼らは悲しみ、つかみかけている何かをなくしそうでむしろ恐れています。

そこでイエスは言われます。「『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。」

このようにおっしゃるのを受けてわかることは、「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。」とも言われていますので、イエスの死の意味を悟るには「イエスを愛し、イエスの言葉を守る」という生き方が必要であるということになります。イエスの言葉は神からの言葉です。ですから、イエスの言葉を守るなら、神の思いに触れることになります。だとすれば、イエスの死の意味も知ることが出来ることになります。

そこで神は、イエスが弟子たちのもとを離れたのちも、弟子たちがイエスの言葉を思い起こすことが出来るように、聖霊という弁護者を遣わしてくださいました。聖霊がすべてのことを教え、イエスが話したことをことごとく思い起こさせてくれるとイエスはおっしゃいます。

このように、イエスは弟子たちとの別れに当たり、一度はどん底の闇に弟子たちを突き落とすものの、新しい希望を与えることを約束されます。それは「平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」といわれるように、真の平和、絶対的な平和なのです。つまり、イエスがその生涯に持ち続けた平和です。それは、天のおん父とつながっているという確信からくる平和で す。だから、どんな試練にあっても大丈夫。神の手の中にあるという信仰からくる平和です。乱れることはありません。観念論ではなく現実の場で、・・。

わたしたちも、キリスト者として生きていくために、弟子たちと同じように聖霊の前にすべてを開き、受け入れていくことが大切ではないか。いつも、・・。

大事なのは、「わたしの心のうち」。不安をなくし、乱れをなくし、聖霊の新しい光の下に立ち上がりましょう。

 

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