復活節第5主日(B年)の説教=ヨハネ15・1~8
2018年4月29日
鳩やカラスにも親孝行のしぐさがある!?
「鳩に三枝の礼あり烏に反哺の孝あり」。
ある本を読んでいて見つけた言葉です。いわゆる、ことわざです。小鳩は親鳩より三本下の枝にとまり、烏は、成長してからは年をとった親鳥の口にえさをふくませて親に恩返しをするという意味だそうです。
最近ではあまり口や耳にしなくなってきたのか、「親孝行」という言葉が影をひそめてきたような気がします。まさに、親の「痒いところに手が届く」子どもからのお世話を、指し示している言動だといえないでしょうか。
痒い所に手が届くサービス「院内助産」
ものの発展、進展に伴い、便利さが優先され、至れり尽くせりのサービスができるようになりました。これからはますますと増大していくのではないでしょうか。その中の一つに「院内助産」という仕組みがあるとの新聞記事を見つけました。(讀賣新聞大阪本社、2018年4月24日朝刊)
「院内助産」とは、病院や診療所で助産師が主体となって出産を介助する仕組みです。経過が正常な出産のみが対象で、緊急時の対応が可能な医療機関で、妊娠中から産後まで切れ目なく寄り添って任産婦の不安を和らげ、満足のいくお産につなげていこうとするものです。陣痛促進剤の使用や会陰部の切開などの医療行為を必要としない、正常な経過の出産だけを扱います。
妊娠から産後まで、助産師が寄り添う安心感
「顔見知りの助産師さんがついてくれ、心強かった」。大阪市内の千船病院で、第二子となる長女を出産した原田由梨花さん(21歳)は話されます。「初産で心配なことも助産師さんが丁寧に説明してくれた」と振り返っていらっしゃいます。今回も、長男の時と同じく院内助産を選択なさいました。また、「妊婦健診では上の子の育児の相談にも乗ってもらえ、ありがたかった」と安心しきった妊娠・産後を振り返っていらっしゃいます。
助産師の川又睦子さんは「経過が順調でも出産に不安を感じる人は多い。どんな出産をしたいかを一緒に考えることで、育児への前向きな気持ちを引き出すこともできる」と話されます。院内助産は産科医不足対策として、厚生労働省が2008年に発表した「医療確保ビジョン」に盛り込まれています。
厚生労働省の資料に、任産婦にとっての院内助産のメリットが指摘されています。
それによりますと、
- 経過に問題がなければ、医療的な処置を最小限にとどめた「自然な出産」ができる
- 妊婦健診は通常30分かけて行われ、ゆっくり質問や相談ができる
- 出産までに助産師と親しくなり、安心して出産を迎えられる
ということです。
「安心感」はお互いの絆を深める基盤
わたしたちはどこに生活していても、安心して、穏やかで、平和な日々を望んでいます。逆に、不安定だと生活どころではなくなります。心配事が先走り、生きている充実感もなく、人としての「人らしさ」も備わっていかないでしょう。「安心感」があるからこそ共に生活できるし、信頼をかけて支え合っていけます。そして、お互いの絆は深められ、強められていくのではないでしょうか。
今日の福音の話は「わたしにつながっていなさい」というメッセージが重要な中味ではないかと思います。「つながっている」「とどまっている」というのは、お互いが身も心も任せきってしまうほどのかかわりでないと「安心」できないのではないでしょうか。だからつながっていたいし、共に留まっているのです。
留まり続ける限り、力と恵みを享受できる
イエスさまが「わたしのうちに留まっていなさい」とおっしゃるのであれば、「わたしを信頼しなさい」「信じなさい」というのと同じ意味でしょう。後にやってくる十字架の刑を前に、別れの言葉として弟子たちに語りかけたのでした。他の人々よりも長くイエスさまと過ごした弟子とはいっても、所詮、弱い存在者でした。イエスさまとともにいるときは、そんなことは何も感じなかったでしょう。イエスさまを一番理解し、特別な存在としての自分たちを感じていたのではないでしょうか。自負心と自信、誰よりも強い信仰心を持ち合わせている自分たちを思っていたのではないでしょうか。
それが、イエスさま不在となると、ものの見事に崩れていったのでした。しかし、イエスさまは、その弟子たちの様子を見て、再教育を施すのです。復活後の弟子たちへのご出現です。弟子たちは自分たちの弱さを知り、イエスさまに「つながって」行こうとします。イエスさまと離れては独り立ちできないことを自覚し、体感できたのでした。
わたしたちも「留まり続ける」かぎり、イエスさまからのあふれる力と恵みを享受できます。弟子たちはそれをわたしたちに見せてくれています。
「信仰しているわたしは安心していますか。そのまま、そこにとどまり続けますか」
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