ラテラン教会の献堂(A年)の説教=ヨハネ2.13~22

2014年11月9日

message-eycatchわたしたちの身の回りにあるもので、通常は意識されていない、それでいて、無くてはならないもの、それは「空気、酸素」ではないでしょうか。命を保ち、しかも、楽しく生きるために無くてはならない存在です。しかし、いつもはそう大事に思われていないのでは、・・・。

このようなもの、あるいはそれ以上のものがあります。多分、一番大事なものといえるでしょう。それは、わたしたち人間にとって、「信仰」です。

言うまでもなく、わたしたちは、みな、五感を利用して生きています。五感を通して知識を得、ものごとを認識、確認し、自分を豊かにしていきます。わたしたちは、感覚的なものが目の前にあるのとないのとでは、どうしてもその集中力に強弱が生じてしまいます。人であれば国籍を問わず同じことが言えます。

したがって、「信仰」の世界でも五感に触れるものは、その信仰養成に大いに力があります。そのために秘跡は残されたということができるでしょう。イエスさまの「資産」を引き継ぐためであり、その宝ものを多くの人に分配するためです。そして、イエスさまの使命を永遠に継続するためです。

その業を教会はより明らかにしようと念じ、これからも続けられます。「教会はキリストにおけるいわば秘跡、すなわち神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具であり、・・自分の本性と普遍的使命とを、その信者と全世界とに、より明らかに示そうと念じている」と第二バチカン公会議は宣言します。(教会憲章1番)

教会はまた、「建物」と呼ばれます。この建物は、使徒によって、「隅の親石となった石」の土台の上に建てられ、この土台から堅固さと結集力を受けるのです。ラテラン大聖堂はローマ司教である教皇の司教座聖堂であり、諸聖堂の母およびかしらと呼ばれ、大きな祝日には教皇ミサや教皇による祭儀が行われます。

全世界のカトリック教会は、ローマの司教座聖堂の献堂の日に、キリストの唯一の教会に結ばれて、清いいけにえを捧げ、豊かな救いの恵みが与えられるように、皆の思いを結集して祈るのです。

現代では、教会聖堂が、単なる集会所になっていないでしょうか。「父の家を社交場にするな」というイエスさまの叫び声が聞こえてきそうです。イエスさまは、わたしたちが訪問してくれるのをいつも待っておられます。

辛い時、苦しい時、さびしい時、そして、楽しい時も、嬉しい時も、イエスさまへごあいさつに行ってみてはどうでしょうか。今後さらに、五感を研ぎ澄まし、感知できるものを大事にしていきたいですね。