『復活節第3主日』の聖書と説教はこちら

Fr.YASU

2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第15主日:お互いが安心でき、やすらぎを得られる関わりを広げたい

日頃は人を感動させる言葉を発していても、愛情がこもっていないと、その感動は打ち上げ花火で終わってしまいます。水の波紋のように広く、あざやかに繋がっていかないのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第14主日:権威をいただいた者の誘惑は、権威の乱用です

派遣される一人ひとりが、人生のさまざまな労苦、重荷を背負いきれないでいる人に共感し、人間が持っている惨めさ、悲惨さに向き合う姿勢を学ぶためにいただく「権威」なのです。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第13主日:選考・派遣された者として、イエスの道を発見しよう

イエスさまも、天のおん父のみ旨を果たすために「派遣」されたのでした。人間の救いのためです。その任務を拒めば、全人類はいつまでも闇の中にとどまり、とざされたままで放置されてしまいます。
2016年/C年説教=神のぬくもり

年間第11主日:神の前に「正直になっている自分」がありますか?

イエスさまのわたしたちへの要求はこれだけです。「多くゆるされたから、多く愛していく」本来の生き方を、わたしたちの人生としていきたいものです。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第2主日:イエスは今日も呼びかけている!あなたは真のわたしの弟子ですか?

「わたし」の日常で、あっと驚く、励まされる「暴露出会い」はありませんかね。あるとすれば、イエスさまの招きです。ご自分の歩まれた道に、わたしたちが自分の人生を合わせることを求められるイエスさまが、今日、呼びかけられます。
2017年/A年説教=神のふところ

四旬節第1主日:「荒れ野」で誘惑に出会ったとき、神に向かうか、背を向けるか?

今の自分の信仰者としての歩みを確認する大ヒントが、今日の福音のイエスさまの姿に込められています。つまり、神に向いているのか、その反対を向いているのか、どうなんでしょうか。イエスが受けられた三つの誘惑をとおして振り返ってみましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第8主日:思い煩いは恵みの浪費!天の父への信頼を深めることが大事

誰にでも、どのような資産家、立派な地位にある人にも、背負いきれない、自分の力を超える現実があます。どうしようもない人間の限界です。だから、イエスさまの招きがあります。「天の父は、あなたたちにそれらがみな必要なことを知っておられる」のですから、天のおん父への信頼をより深めましょう。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第7主日:絶対的平和の基盤は、悪人にも善人にも太陽を昇らせる「おん父」の心

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15・13)生き方が、イエスさまが大切にしていたものでした。その源泉は「おん父の心」です。イエスさまのこの生き方があるからこそ、不十分な「わたし」でも、平和実現の担い手になることができます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第6主日:「平和」実現のために新たな挑戦を!律法の完成の意味はそこにある

イエスさまの言葉の奥にあるものは、難しくても、そこに向かって進んでみましょう、と言われます。でないと、「地上の平和」への道が閉ざされます、と。「平和」実現のために挑戦しなさいと強力に勧めておられます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第5主日:地の塩、世の光となるためには、罪に汚れた自分を素直に認めることから

大事なことは、自己卑下することではなく、罪に汚れた人間のありのままの姿をしっかりと見ることでしょう。それは、自分のエゴイズムとそこからくる欲望の強さが、自分と世の闇を深くしている現実に気付くことでしょう。自分を変えることができるのは、神からの働きかけだけであることに目覚めることではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第4主日:困難の中でも勇気ある決断を!イエスの招きは心を神に向けて生きること

イエスさまは「自分の貧しさを知る人は幸いである」と言われます。自分の力で得ることができるこの世の富ではなく、祈りによって神から与えられる恵みだけが人を幸せにすることができる、と言われます。大きな状況の転換です。それだけに、勇気ある自己決断が求められてきます。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第3主日:イエスさま流とは?より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神の姿勢

ガリラヤに行かれたということは、より貧しいところ、皆から見放されたところに行こうとする神のなさり方が満ち溢れています。これがおん父から遣わされた「イエスさま流」なのです。イエスさま流は、無駄のない、美しい、現実的なありかたなのに、イエスさま流の原型を壊してしまい、人間流にすり替えてしまっていくのがわたしたちです。
2017年/A年説教=神のふところ

年間第2主日:本当の救いを求めて燃えていることを目指しましょう。

洗礼者ヨハネの弟子たちにとって、イエスさまとの出会いは恵みでした。それは、ヨハネとの出会いの時に決定づけられていたということができるでしょう。つまり、ヨハネが持っていた神への情熱にふれたときに、彼らはすでに、イエスさまへ方向づけられていたといえるのではないでしょうか。
2017年/A年説教=神のふところ

待降節第4主日:キリスト誕生はもうすぐ!神との身近な出会いを見つけましょう。

旧約時代の義人は聖なる神の前では畏れおののきます。その義人ヨセフが、子どもが急に何かに目覚めたような成長をするように、目覚め、神のあわれみ、愛が具体的にあらわれる瞬間(イエス誕生)に立ち会うことになります。
2017年/A年説教=神のふところ

神の母聖マリア:親子のかかわりを振り返り、「安心感」を提供しあえる家族を目指したい

この一年を、神の母マリアの執り成しと保護に委ねようという思いを強くしてスタートしたいものです。母としてのマリアさまの姿は、多くを語らず、お告げの時に、すでに受け入れていた「未知の歩み」にとても配慮なさっているように思えます。
2017年/A年説教=神のふところ

主の公現:人はゆるされることによって心身の健康を知り、健康な状態を維持していく

東方からの賢者たちは、何にも邪魔されない絶対的な安らぎを幼子イエスに感じ取っていたのではないでしょうか。周囲をはばかることなく、しかも、それまでの自分たちの仕事道具までもすべて奉献する行動に出ています。「安心した心」の状態を示している証でもあります。
2014年/A年説教=神のたしかさ

年間第28主日:救われたことへの感謝の思いがあるかが問われている

いつでも招待されることを思い、そのことへの感謝の心がある人と、そうでない人との違いが「礼服」という姿で表現されている、ということです。つまり、救われる(宴席につく)ための資格が云々されているのではありません。
2011年/A年説教=神のみことば

主の受難:イエスは「神よ、神よ、どうしてわたしを見捨てられたのですか」と叫ばれた。

イエスさまは人から排斥され、しかも、心血をかけてきた愛弟子たちからも見放されていったのです。この事実をはっきりと認識できる今年の聖週間でありたいと思います。「わたし」の救いは、無実なイエスさまの苦しみの上に実現されたことを、改めて感謝することでしょう。
2011年/A年説教=神のみことば

主の復活:「空の墓」とは?何かが完全に終わるとところに、まったく新しい何かが始まる

過去の生き方に留まるのではなく、まったく新しい世界に導いてくださるのが今日の祝日です。マリアも二人の弟子たちもそのことには気づいていません。人の醜い思いにつぶされたイエスさまの受難と死は、まったく形を変えて、人の救いというイエスさまのわたしたちへの愛に変えられたのです。
2017年/A年説教=神のふところ

待降節第3主日:主の訪れ(キリスト誕生)は、何事にも代えがたい究極の「喜び」です

「主にあってよろこべ」とは、その喜びは絶えることがないからパウロは叫び続けるのです。神の訪れをまことの喜びにできていますか。共に、そう叫び続けられるようでありたいですね。