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"聖家族"

2024年/B年の説教=あなたの言葉は「わたし」の道の光

聖家族:「子は神の賜物」とみることができれば、その喜びは大きく広がる

イエスの人となりは、マリアとヨセフに負うところ大です。やさしさ、温かな配慮する心、微笑み等、すべてが親から引き継がれているものでしょう。子どもにとっては、親の、大人の一挙手一投足が全て、生きるための「生き字引」であり、エネルギーなのです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

聖家族:人の自らの限界に対処する仕方が、その人の生き方を決める

わたしたちは自分たちの限界にすら気づいていないかもしれない、と思うことがあります。自分一人の楽しみを求めるのではなく、せめて、家族の楽しみを願い、そのために動くことがあれば、限界も見えてくるのかもしれませんね。
2021年/B年説教=新しいいのちの輝き

聖家族:神のみ旨を探しあて、親子の人生をさらに生かし、豊かにする

「お宮参りをする」「神にささげる」等の行為は、その時が来たら、子どもが自分たち親元を離れていくであろう痛みを感じながらも、神のみ旨に自分たちの心をあげていく姿なのではないでしょうか。
2020年/A年説教=応えていますか、いつも

聖家族:三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかだった

家族に共通した「心」の探求に目覚めてはどうでしょう。マリア、ヨセフは少年イエスに苦しめられ(?)ながらも、学んでもいたのです。三人の共通した「心」は、神は何を「今」望んでいるのかということでした。お互いの中に、神からのメッセージを聴きとり、読み取っていたのです。
2019年/C年説教=召ばれています、いつも

聖家族:神の意向は、常に現実の中で示されていることを認識しよう

イエスさまの「冷たい」言葉は、ご自分の使命に目覚めた羽ばたき、独り立ちの瞬間でした。「キレる」ことなく、五感を働かせてしっかりと少年イエスさまの飛びたちを見つめ、後に続きましょう。わたしたちの新たな年への旅立ちです。
2018年/B年説教=神への道標

聖家族:イエス、マリア、ヨゼフの一家団欒時の話題に思いを馳せてみる

神殿からの帰途、イエスさまが行列の中にいなかったのです。両親の心は大いに痛みました。しかも、「どうして、わたしをお捜しになったのですか。わたしは父の家にいなければならないことを、ご存じなかったのですか」と、逆に問い返されます。
日曜日の聖書

聖家族:イエスが十二歳になったときも、両親は慣習に従って都に上った

聖家族(C年)の聖書=ルカ2・41~52 イエスの両親は過越祭には毎年エルサレムヘ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
2016年/C年説教=神のぬくもり

聖家族:「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。

いつでも「家庭」は人の存在すべての根幹であり、苗床です。イエス、マリア、ヨセフの聖家族はわたしたち人間家族の生きるすべての見本であり、源泉です。
2015年/B年説教=イエスのこころ

聖家族:マリアとヨゼフの要にあったのは、「主・神」との繋がりでした

神との出会いがすべての始まりでした。「出会い」というとき、双方の思いと動きがあって出会います。イエスさまとの出会いも、双方が近づき、出会い、病と心の癒しがあって、弟子となっていくというパターンが普通です。
日曜日の聖書

聖家族:幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた

聖家族(B年)の福音=ルカ2・22~40 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親は〔イエス〕を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 《それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
2014年/A年説教=神のたしかさ

主の奉献:エルサレムでの驚きは聖家族の新たな生活の始まり

この驚きが、マリアとヨゼフのこれからを導いてくれます。「これらを心に留め、思いめぐらす」生活の中に、神の、イエスさまのほんとうの姿を見出していかれるのです。
日曜日の聖書

聖家族:ヨセフは夢で聞いたお告げに従い、子どもと母親を守るために逃げた

聖家族(A年)の聖書=マタイ2・13~15、19~23 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。
2014年/A年説教=神のたしかさ

聖家族:イエス、マリア、ヨゼフはすべての家族の原型であり、模範です

「聖なる家族」は一体どのような食卓を囲んでいたのでしょうか。一人ひとりの素朴さ、静けさ、お互いの信頼感、そして神への信頼心。これら一つひとつが家族をつなぎ、輪となり、和をつくり上げていったのです。
2013年/C年説教=寄り添うイエス

聖家族に倣う「家族の間隔」。親離れ、子離れについて思い巡らす

わたしたち家族のモデルがここにあるような気がします。新年を前に、過ぎる今年を感謝し、来る年に向けて小さな決意を添えて、新たな力と恵みを願いましょう。
2011年/A年説教=神のみことば

聖家族:現実は遅々としていても「神から与えられたいのちだ」という自覚を持ちましょう

人間の本心には、人とのかかわりの中で、豊かになっていくものが必ずあるのに、それに気づいていないだけの話です。人間の真実の価値への自覚、人への真の愛がない家庭には、本当の安らぎ平和も生まれてこないのでは、・・・。その出発点にあるのが「家庭」での交わりです。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

復活節第6主日:聖霊が「わたし」の行動の原動力であり続けるためには

イエスは「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている」と言って、弟子たちに聖霊を受け取る約束をなさいます。
2023年/A年説教=み言葉は「救い」の見極め

神の母聖マリア:全人類の母は「出来事を」心に留めて、思い巡らす

マリアは、あのお告げの時に告げられた大天使ガブリエルの言葉の意味をも、うまく理解できていないのです。ひたすら温め続け、さらに思い巡らし続けているのです。すべてを理解できる日が必ず来るからです。
2022年/C年説教=弱き者を救う神

主の公現:真の救いへのあこがれ、渇きがこの「わたし」にあるのだろうか

救い主としてのイエスのもとへ最初に招かれた人々は、人間の、社会の闇の中に生きている人々であったのです。『神はどん底の闇からの叫びを顧みる』これが今日の福音の訴えではないでしょうか。
アキラさんの絵手紙

Merry Christmas–アキラさんの絵手紙2019

カードは女子パウロ会が川口教会に移動販売で来た時、神父が手に入れた和風の聖家族を借りて描いたものです。

826村のテーマは、インターネット教会の研究です。デジタル技術の活用法を研究しながら、聖書とカトリックの教えをネット上で分かち合う方法を模索しています。