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灰の水曜日(B年)<カトリック教会の典礼暦>2021年2月17日

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日時:
2021年2月17日 終日
2021-02-17T00:00:00+09:00
2021-02-18T00:00:00+09:00

灰の水曜日–2月14日/大斎・小斎–聖書の朗読箇所

2015年の灰

2015年灰の水曜日に使用した灰

第1朗読
ヨエルの預言
(ヨエル2・12~18)
主は言われる。
「今こそ、心からわたしに立ち帰れ 断食し、泣き悲しんで。
衣を裂くのではなく、お前たちの心を引き裂け。」あなたたちの神、主に立ち帰れ。
主は恵みに満ち、憐れみ深く 忍耐強く、慈しみに富み
くだした災いを悔いられるからだ。
あるいは、主が思い直され、その後に祝福を残し
あなたたちの神、主にささげる穀物とぶどう酒を
残してくださるかもしれない。シオンで角笛を吹き、 断食を布告し、聖会を召集せよ。
民を呼び集め、会衆を聖別し、長老を集合させよ。
幼子、乳飲み子を呼び集め
花婿を控えの間から、 花嫁を祝いの部屋から呼び出せ。
祭司は神殿の入り口と祭壇の間で泣き、主に仕える者は言うがよい。
「主よ、あなたの民を憐れんでください。
あなたの嗣業である民を恥に落とさず
国々の嘲りの種としないでください。
『彼らの神はどこにいるのか』と、
なぜ諸国の民に言わせておかれるのですか。」そのとき、主は御自分の国を強く愛し、その民を深く憐れまれた。
第2朗読
コリントの信徒への手紙
(Ⅱコリント5・20~6・2)
〔皆さん、〕神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。 わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」
と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
福音
マタイによる福音
(マタイ6・1~6、16~18)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。 祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。 断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。それは、あなたの断食が人に気づかれず、隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。」
カトリック教会の典礼【灰の水曜日】に使う灰の作り方
灰の水曜日の2~3週間前から呼びかけて枝を回収し、直前の日曜日に灰を作る。1年に一度しか出番がない専用のコンロの中に枝を入れ着火。前年の枝は完全に乾燥していて勢い良く燃えるので、適量を何回かに分けて入れること。枝が全部燃え尽き、炎が落ちたらコンロが冷めるのを待ち、コンロが冷めたらスプーンもしくはお玉で灰をかき集めて茶こしなどで灰を濾す----

灰の水曜日に関するブログ記事はこちらです

フランシスコ教皇の今年の四旬節メッセージが発表されていますので、引用・紹介します。

2018年四旬節教皇メッセージ

「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイ24・12)

親愛なる兄弟姉妹の皆さん

復活祭がまた近づいてきました。神は摂理により、「わたしたちの回心の秘跡的しるし」[1]である四旬節を、復活祭に備えるために毎年、与えてくださいます。四旬節は、生活のあらゆる側面で心の底から主に立ち帰るようわたしたちに呼びかけ、そのことを実現させます。

今年も、この恵みのときを喜びと真理のうちに過ごせるよう、このメッセージを通して、わたしは教会全体のために役立ちたいと思います。そのために、わたしはマタイによる福音書に記されたイエスのことばの導きに身をゆだねます。「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイ24・12)。

このことばは、終末に関するキリストの説教の中に表れます。それは主の受難が始まる場であるエルサレムのオリーブ山で告げられました。イエスは弟子たちの質問に答え、大きな災いを予告し、信者の共同体に起こりうる状況を描きます。痛ましい出来事を前にして、偽預言者たちが多くの人を惑わし、福音全体の中心である愛が人々の心から消える恐れがあります。

偽預言者

この箇所に耳を傾け、自分自身に問いかけましょう。偽預言者はどんな姿をしているでしょうか。

彼らは、人々を奴隷にして思い通りに動かすために、人間の感情を操る「蛇使い」のようです。どれほど多くの神の子が、一時的な楽しみを幸福と取り違え、そのとりこになっていることでしょう。いかに多くの男女が、金銭という幻想に夢中になりながら生活していることでしょう。その幻想は実際、人々を利益やわずかなもうけの奴隷にするだけです。自分自身に満足していると思いながらも、孤独に支配されている人がどれほどいることでしょう。

偽預言者は「詐欺師」にもなります。彼らは苦しみに対して簡単で手短な解決策を示しますが、それらはまったく役に立ちません。どれほど多くの若者が麻薬、「用が済めば切り捨てる」人間関係、安易だが不正な利益といった誤った治療を施されていることでしょう。また、まったくバーチャルな生活にとらわれている人々がどれほどいることでしょう。そこでの結びつきは、非常に容易で迅速であるかのように思えますが、まったく無意味であることがのちに判明します。これらの詐欺師は価値のないものを与え、その代わりに尊厳、自由、愛する力といったもっとも大切なものを奪います。思い上がりという錯覚により、わたしたちはうぬぼれ屋になり……愚かな状態に陥ります。そして、その状態からのちに自分自身を取り戻すこともありません。これは驚くべきことではありません。「偽り者であり、その父」(ヨハネ8・44)である悪魔はずっと昔から、人間の心を混乱させるために、悪いものを良いものとして、偽りのものを真のものとして示してきたからです。したがってわたしたちは、自分がこの偽預言者の嘘にだまされていないか、自らの心を各自で識別し、見極めるよう求められています。その場限りの表面的なレベルにとどまらずに、心にいつまでも残るよいしるしを見分けるすべを学ばなければなりません。それらは神がくださるものであり、わたしたちの幸福にとって真に価値あるものだからです

冷えた心

ダンテ・アリギエリは、地獄に関する記述の中で、氷の玉座に座った悪魔の姿を描いています[2]。悪魔は、愛のない氷の家に住んでいます。ここで自分自身に問いかけましょう。わたしたちの中で愛はどのように冷えていくのでしょうか。心の中から愛が消えてしまう危険を表す兆候は、どのようなものでしょうか。

「すべての悪の根」(一テモテ6・10)である金銭欲は、何よりもまして愛を弱めます。そして人は神を拒むようになり、そのために神のうちに慰めを求めることを拒絶し、みことばや秘跡による慰めよりも孤立した状態を好むようになります[3]。こうしたすべてのことは、胎児、病気を患う高齢者、移動者、外国人、さらには自分の期待にそぐわない隣人といった、自分にとって「確かなもの」を脅かすように思われる人に対する暴力を引き起こします。

被造物もまた、このように愛が冷えることを静かにあかししています。地球は無関心と利益追求のために捨てられた廃棄物によって汚染されています。海も汚染されています。不幸なことに海は、移住を強いられ難破した多くの人の遺体を覆わなければなりません。神の計画のもとに神の栄光を称える天空にも、死の道具を降らす兵器の筋が残されています。

わたしたちの共同体の中でも愛は冷えています。使徒的勧告『福音の喜び』の中で、わたしはこの愛の欠如のもっとも顕著なしるしを描こうとしました。それらは怠惰な利己主義、実りをもたらさない悲観主義、孤立願望、互いに争い続けたいという欲望、表面的なものにしか関心をもたない世間一般の考え方などです。こうして、宣教的な情熱は失われていきます[4]。

何をすべきか

たとえ、これまで述べてきたしるしをわたしたちが自分自身の内面や周囲に見つけたとしても、母であり師である教会は、この四旬節の間、祈りと施しと断食という美味な薬を、時には苦い真理の薬と一緒に与えてくれます。

「祈る」ために長い時間を費やすことにより、わたしたちの心は自分自身をあざむく隠れた嘘を暴き[5]、神の慰めを最終的に探し求めます。神はわたしたちの父であり、わたしたちが生きることを望んでおられるのです。

「施し」は、わたしたちを欲深さから解放し、隣人が自分の兄弟姉妹であることに気づかせてくれます。自分のものは、自分だけのものではないのです。施しがすべての人の真のライフスタイルになったらどんなによいでしょう。わたしたちキリスト者が使徒の模範に従い、自分のものを他者と分け合うことの内に、教会に息づいている交わりの具体的なあかしを感じ取ることができたらどんなによいでしょう。この点についてわたしは、聖パウロがエルサレムの信徒のために献金するよう、コリントの信徒を促したときのことばを繰り返します。「それがあなたがたの益になるからです」(二コリント8・10)。このことばは、多くの団体が教会や困窮している人々のために献金を集める期間である四旬節にとりわけ当てはまります。また日々の人間関係の中でも、助けを求める兄弟姉妹を前にして、その人を神の摂理からの呼びかけとして受け止めることができたらどんなによいでしょう。一つひとつの施しは、ご自分の子どもに対する神の摂理にあずかる機会です。もし今日、誰かを助けるために神がわたしをお使いになるなら、明日にはわたしが必要としているものも与えてくださるかもしれません。神ほど惜しみなく与えるかたはいないのです[6]。

最後に断食は、わたしたちの中にある暴力を鎮め、武装を解かせるものであり、わたしたちの成長にとって重要な機会です。断食は、必要最低限のものさえ不足する状態や、空腹に見舞われる日々の苦しみを体験させてくれますが、その一方で善意に飢え、神のいのちを渇望している、わたしたちの霊的状態も表しています。断食はわたしたちを目覚めさせ、神と隣人にさらに心を向けるよう促し、神に従う意欲を燃え上がらせます。神はわたしたちの飢えを満たす唯一のかたなのです。

わたしは、心を開いて神に耳を傾けようとしている善意あふれる皆さんに、カトリック教会の垣根を越えてわたしの声を届けたいと思います。もし皆さんが、わたしたちのように、この世に不正がはびこっていることに心を痛め、人々の心と行いを麻痺させる冷淡さに懸念を抱き、共通の人間家族の一員であるという意識が弱まっていると感じているなら、わたしたちと一緒に神に祈り、ともに断食し、兄弟姉妹を助けるために自分にできることを行いましょう。

復活祭の炎

とりわけ信者の皆さんにお願いします。施しと断食と祈りによって力づけられ、熱意をもって四旬節の歩みを進めてください。たとえ多くの人々の心から愛が消えそうになっても、神の心がそうなることは決してありません。神は、わたしたちが再び愛し始められるように、新たなチャンスをつねに与えてくださいます。

今年も、恵み深い機会として「主にささげる24時間」という取り組みを行います。その際には、聖体礼拝においてゆるしの秘跡を受けることが望まれます。2018年には、「ゆるしはあなたのもとにあり」という詩編130編4節の中のことばに導かれながら、3月9日金曜日から10日土曜日までこの取り組みを行います。各教区の中で、少なくとも一つの教会は24時間ずっと扉を開き続け、聖体礼拝とゆるしの秘跡を行う機会を提供します。

復活徹夜祭に、わたしたちは再び復活のろうそくをともし、感動的な光の祭儀を行います。この「新しい炎」から生じる光は、暗闇を少しずつ消し去り、この典礼に集まった人々を照らします。「輝かしく復活したキリストの光が、心のやみを照らしますように」[7]。そして、わたしたち全員が、エマオの弟子たちの体験を再び味わうことができますように。みことばに耳を傾け、聖体によって育まれ、わたしたちの心が信仰と希望と愛によって再び燃え立ちますように。

わたしは心から皆さんを祝福し、皆さんのために祈ります。どうか忘れずに、わたしのために祈ってください。

バチカンにて
2017年11月1日
諸聖人の祭日
フランシスコ

  1. 『ミサ典礼書』四旬節第一主日集会祈願(イタリア語版)。
  2. 「悲しみの王土の大帝は、胸の半ばから上を氷の外に出して立っていた」(『神曲』、地獄編第34歌28-29〔寿岳文章訳、『ダンテ神曲地獄編』集英社〕)。
  3. 「不思議なことに、わたしたちは慰めを恐れ、慰められることを恐れるときがあります。実際、悲しみや惨めさのうちにあるほうが安全であると感じたりします。なぜだか分かりますか。なぜなら、悲しみのうちにあるとき、わたしたちは自分が主人公だと感じるからです。それとは逆に、慰めのうちにあるときには、聖霊が主人公です」(「お告げの祈り」でのことば、2014年12月7日)。
  4. 76-109参照。
  5. 教皇ベネディクト十六世回勅『希望による救い』33参照。
  6. 教皇ピオ十二世回勅Fidei donum, 3。
  7. 『ミサ典礼書』復活徹夜祭、光の祭儀。

引用元:カトリック中央協議会 2018年 四旬節教皇メッセージ

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この記事を書いた人
yaziro

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yaziroの名は、1549年聖フランシスコ・ザビエルを鹿児島に案内してきた薩摩の人・ヤジローにあやかっています。

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